第2章 1888-1900 ゆりかごの時代
第5回 転機
月刊化して表紙も変え、大幅にリニューアルを果たした『ナショナル ジオグラフィック』でしたが、期待したほど部数は伸びませんでした。
でも、雑誌のリニューアルなんてたいていそんなものです(笑)。
売れ行きが好調な間は、ふつう路線を変えません。大幅にリニューアルするときはだいたい悪あがき。売れ行きが伸びるほうがレアケースです。
しかも、『ナショナル ジオグラフィック』の場合、根っこのところは変わりませんでした。
スタッフはまったく変わらず、地理に対する姿勢は依然として学術的でおカタいまま。一般誌なのか、専門誌なのか、どっちつかずの状況が続いていたのです。
おそらくそのまま続けていたら、『ナショナル ジオグラフィック』どころか協会すらいまは存在していなかったでしょう。
転機は図らずも訪れました。
リニューアルの翌年、ハバード初代会長が亡くなり、グラハム・ベルが会長に就任したのです。
米バージニア州ノーフォークで、皆既日食の観察に向けて準備する会長のアレキサンダー・グラハムベル。1900年5月28日、ナショナル ジオグラフィック協会が催したこの観察ツアーには、会員の大半が参加した。(c)Gilbert H. Grosvenor(写真クリックで拡大)
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