もう一つなりたいなと思っていたのは、東京地方検察庁特別捜査部、つまり東京地検特捜部、の検察官だった。

まあその理由は、若者にありがちなとっても青クサーイ正義感がもたらすものなので、恥ずかしくて告白したくないモノだが、要するにあの頃の大物政治家は(いつでもそうだけど)、みんなココロザシを忘れて、ナントカ疑惑でお金をガッポガッポ懐に入れていたわけだ。「巨大権力を牢屋にぶち込める」のは東京地検特捜部だけ、とボクは思っていた。その頃のスレていないボクは、「特捜部だって巨大権力じゃん。それに特捜の人間も牢屋にぶち込まれているYo・Ne」ということには残念ながら気付いていなかったのだ。

とにかく、幸運なことにどちらも合格した18歳のボクは、ある意味その時点で、人生の職業選択を迫られていたとも言える。

そして、明治生まれの教育ママだったおばあちゃんの悲願「ワタシの子供か孫の誰でもいいから、一族郎党の誰かが京大に入学を!」という希望や、「京大とソルボンヌ(パリ)大学に共通するアカデミアの空気感がサイコー」という、当時パリに行ったこともないはずなのに何故かパリ大学の空気感を知っていた我が母の謎の名言、に惑わされたのかそうでないのかわからないけれども、意外にあっさり京都大学農学部を選択したのだ。

もちろん「パリ大学の空気感」は知らなかったが、確かに京都大学のキャンパスや周辺の大学街の持つ「自由な学風と伝統に支えられたアカデミアの空気感」とやらを感じ、圧倒された(ような気がした)のは間違いなかった。そして、将来は「生物系の研究者になり、ノーベル賞をとる!」とすぐさま決意したのだ。

この連載の前回の
記事を見る

この連載の次の
記事を見る