第2話  JAMSTECへの道 前編

その1  東京地検特捜部か、ノーベル賞か

それから12年と半年後、

すぐに誰かエライ人と喧嘩して生卵でも投げつけてクビになるに違いないと思っていたJAMSTECに居座り、プログラムディレクターなどという名前だけは「まあご立派!」だけど、実は「使い減りしない哀愁の中間管理職なのだ」という職に就き、挙げ句の果てに、そのご縁のある沖縄トラフ伊平屋北フィールドで地球深部探査船「ちきゅう」を使って日本初の大規模熱水掘削調査を指揮することになる。

まさかそんなこと想像していただろうか。いや想像していない(反語)。

だんだん話の道筋と文章のノリがよく分からなくなってしましたが、つまり、今回のマクラは、「遠い目で振り返る過去」と言うことのようです。

京都に生まれ、幼少を過ごし、思春期を山紫水明自然溢れる滋賀県北部(要するにド田舎)でまっすぐ育ち、青春期を再び京都でハジけた根っからの京都人であり滋賀県民であるワタクシが、なぜ「箱根の関所」を超えてJAMSTECにやってきたのか?

これから始める第2話では、そのエピソードを紹介したいと思います。

さあ、みなさんも今、夜な夜な東京都港区芝浦の片隅でボディコン(死語)という特攻服に身を包んだ3000人ものうら若き女子たちが扇子を振り回して踊り狂っていたとまことしやかに語り継がれる、今の若い人には信じられないようなあの平和な1990年代初期に、タイム・スリップしたと思って下さい。

「ジュリアナトーキョー行ってみたい」とうつつを抜かしていたワタクシに、後に「深海に青春を賭ける」ことになる最初のきっかけが訪れたのは、1991年2月のことでした。