第2章 単独行 後編

(承前)
 単独行の好きな登山家や冒険家がたしかにいる。彼らがすべて共通する性向とか心情をもっているわけではない。しかし、共通するものがないという発見は、意味のないことではないかもしれない。

 加藤文太郎(1905年~36年)は、植村と同じ但馬の出身。しかし加藤は植村と違って日本海の海辺に生まれ育った。昭和の初めに、実力ナンバー・ワンと目された単独登山家である。神戸の三菱内燃製作所に勤めながら、日本アルプスの新ルートを単独で開発していった。1936(昭和11)年1月、槍ヶ岳で遭難死。ただし、この遭難のときには同行者がいた。

 加藤には『単独行』と題する遺著がある。そのなかの「単独行について」と題するエッセイで、含み多い発言をしている。「彼(筆者注・単独行者)の臆病な心は先輩や案内に迷惑をかけることを恐れ、彼の利己心は足手まといの後輩を喜ばず、ついに心のおもむくがまま独りの山旅へと進んで行ったのではなかろうか」。加藤は単独行を強く肯定しているが、単独行には、一種の臆病さと利己心が絡みあいつつ関係していると考えているようだ。