第2章 1888-1900 ゆりかごの時代

第4回 明治三陸津波

 創刊9年目の1896年にようやく月刊化を果たし、より一般向けの記事をじわりじわりと載せ始めた『ナショナル ジオグラフィック』。そのなかには明治三陸津波のレポートもありました。

 筆者はエライザ・シドモアという女性です。

 彼女は1890年にナショナル ジオグラフィック協会に入会し、2年後に女性ではじめて評議員に選出された、いわゆる人文地理学者にして大の親日家でした。

 84年に初来日して以降、日本に長く滞在し、91年には『シドモア日本紀行』(講談社学術文庫)を刊行しています。日本を愛し、隅田川の桜並木の美しさに感動して、当時お世辞にもきれいとはいえなかったポトマック河畔に桜を植えようと計画したのはほかならぬ彼女でした。

 日本に来る前から「ニューヨーク・タイムズ」などに寄稿していただけあって、シドモアの記事はとてもわかりやすく、被害の様子を的確に伝えています。

 残念ながら、当時の日本版は(当然)ありませんけれど、『日本の100年』に抄訳が掲載されているので、少し引用してみましょう。

「この津波による死者は2万6975人、負傷者数は5890人。倒壊した家屋は9313戸、打ち上げられた大型船舶は約300隻、倒壊したり沖に流されたりした漁船は1万隻以上」

「助かった住民の証言によると、高波が押し寄せる直前に、突然海の水が600メートル近くも沖へ向って後退したのだそうだ。その後、波が高さ24メートルはあろうかという真っ黒い壁に変身し、打ち付けるように岸に向かって襲いかかってきた」

「かなりの数の船が陸地に打ち上げられ、中には2キロ以上も内陸へ運ばれたものもあった。海面からあまり高くない海辺の土地では、高波が引いた後、ほとんど何も残らなかった」