第4回 夢は「世界遊びの大百科事典」

「真っ白な子どもに対して、大人が社会規範を与えるという考え方がありますよね。子どもはあたかも受け入れるだけの受動的な存在のような立場に描かれちゃってるのが、どうも私はちょっと腑に落ちないんですね」と亀井さん。

縦長集団で勝手気ままに遊ぶ子どもたちは「ただの受容者」とはとうてい思えないという。(写真クリックで拡大)

 バカの子どもたちは、大人からは放任され、勝手気ままに遊ぶ中で、自然と自分たちの社会的役割を選び取っていく。異年齢からなる縦長集団の中で、年齢が上の子は、下の子の面倒を見つつ、狩猟や採集など生業活動のまねごとでも「はんぱな活動」として遊びにしてしまう。「ガキ大将がいたあの頃」を懐かしむ人たちが日本にはいるらしいが、子どもたちの自律的な活動の豊かさは、日本を含め先進諸国の比ではなさそうだ。「ただの受容者」ではないというのは大いに納得できるのだ。

 さらにいえば、バカでの、男女の役割分担について。

「しばしば社会、大人、あるいは教育者が、かなり強制的に子ども達に性別の役割を植えつけているというモデルが語られます。その見方でいくと、バカの集落で子ども達が自発的に喜んで自分たちの性別の側の活動を選んで遊んでいく風景はとても奇妙。奇妙というか面白い問題ですね。誰も、ああしろ、こうしろと、男性らしさ・女性らしさを植えつけてるなんて姿が見えない。先進国で、学校教育が整えられた中で論じられている問題とは違う、人類学的に興味深い現象でした」

 亀井さんがこのように語る背景には、バカの子どもたちの遊びが「児童労働」と思われる素地がないわけではないからだ。キリスト教会が作った小さな学校から、乾季になると狩猟採集民のバカの子が「消えて」しまうことは前に書いた。それをもって「児童労働させているのではないか」「子どもを学校に通わせるべきではないか」という見方もありうるだろうという。

 これに対して、亀井さんは述べる。