「もしも競争したくないオスがいるとすれば」

 長谷川さんは言う。

「女性の場合と同じように、繁殖したいという欲求に勝るとも劣らない、自分を満足させるオプションが、現代社会にはさまざま用意されているということも大きいでしょう。いくら景気が悪いといっても、日本社会は世界に比べても満ち足りています。個人が個人としてやっていく分には、のし上がろうとしなくても、そこそこの幸せが手に入るのです」

 もうひとつ、男子が闘争心を持たない一因として、闘争を勝ち抜いた先にある希望が、日本ではどんどん小さくなっていることもある。たとえばマウンテンシープの世界では、オス同士が角を使って喧嘩をし、勝ったほうは10匹くらいのメスを手に入れられる。ちなみにこれも、「草食系」の動物だ。一方、アザラシなら、勝者には100匹ものメスが手に入る。

「ものすごいモチベーションになりますよね。だからオスたちは戦う。かたや日本で今、若い男性たちは高度成長期を知らず、生まれてからずっと右肩下がりの時代に育っている。一攫千金の可能性もなければ、将来の希望を持つすべも知らない。その先に得るものが、見えないことも、闘争心を失った背景にあるのではないでしょうか」

 これに加えて、ヒト本来の育児スタイルである、群れのみんなで子供を育てていく「共同繁殖」のシステムも崩壊している。本人も一人っ子が多いうえ、親も兄弟がいない少子化の家庭で育っていれば、従兄弟など、同年代の親戚さえもいない。いくつになっても、大人にケアしてもらう「お子ちゃま」であり、対等に人と接することを避けるようになっていく。

 こうしてヒトだけに見られる、「オスでありながら戦うことを知らない“草食動物”」が誕生した。

「その5  「子供を育てたい」が選択肢に並ぶ日を」へつづく

長谷川眞理子(はせがわ まりこ)

1952年東京生まれ。総合研究大学院大学教授。専門は動物行動学、行動生態学。タンザニアでチンパンジー、伊豆でクジャクの繁殖戦略や配偶者選択を調査、現在は動物からヒトまで幅広く行動生態を研究している。著書に『生き物をめぐる4つの「なぜ」』『進化生物学への道』『進化とはなんだろうか』『オスとメス 性の不思議』『クジャクの雄はなぜ美しい?』『雄と雌の数をめぐる不思議』『動物の生存戦略』など。


福光 恵(ふくみつ めぐみ)

1960年東京都生まれ。美術業界で働いたのち、フリーライターに。日経新聞プラス1「コトバの鏡」、アスキードットPC「自腹で大人買い」などの連載あり。

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