第2章 単独行 前編

《私はケーブルの廃駅に入った。シャモニ谷をはさんで、対岸のエギーユ・ルージュの岩山が見える。駅で泊まることにした。寒気と風をよけてひとり細々とストーブをたく。冬に黒部から立山を越えて弥陀 原へひとりで下った山行を思い出していた。シュラフの中で夢うつつに思い出にふけるのはなんとすばらしいことだろう。何ひとつ寂しくはなかった。》

 ここで早くも、極北の大氷原でひとりテントを張って停滞するときの、あの無上の喜びが語られているのに注目したい。「ひとりでいい」のではなく、「ひとりがいい」のだ。

 翌朝、植村はモンブランの頂上から下っているボッソン氷河を歩きはじめる。もう少しで氷河を渡りきるというところで、新雪に隠されていたクレバスに転落した。背中のザックと、アイゼンの爪が氷壁に引っかかって、植村は無事クレバスから這い上ることができた。

 助かったあとで、改めてゾーッと寒気を感じ、膝がガタガタとふるえた、と彼は書いている。「氷河の恐ろしさも知らずにした単独登山を、私は反省した」とも。しかし、彼は反省して単独行を改めたわけではなかった。「冒険とは、何よりもまず生きて帰ること」を自分のスローガンのように唱えながら、ひとりで行動しつづけた。やりたいことをやる、登りたい山に登る。そのためには単独でやるより方法はない。彼はごく単純にそう考えていたのではなかったか。