第2章 1888-1900 ゆりかごの時代

第1回 『ナショナル ジオグラフィック』創刊

 1888年1月に協会が発足したときの会員数は165名でした。

 当初、有給の職員もいなければ正式な本部もありませんでしたが、協会はすぐに活動をスタートさせました。

 地理知識の普及という目的にしたがって、2月にはすでに設立メンバーで探検家のジョン・ウェズリー・パウエルの講演会を開いています。パウエルは「当時の米国でおそらく最高の実力と影響力を誇る科学者」で、ユタ州とアリゾナ州にまたがる世界で2番目に大きな人造湖、パウエル湖にも名前が使われています(パウエルについてより詳しく知りたい方はこちらをご覧ください)。

ジョン・ウェズリー・パウエル(右)は、南北戦争で片腕を失ったが、以後も地理学者や探検家として活躍。グランドキャニオン探検の草分けとなり、はじめて訪れた35歳のときにはコロラド川をボートでくだるルートに挑戦した。
(c)John K. Hillers/Smithsonian Institute.

 映画やテレビが普及する以前のこの時代、旅行はまだ富裕層だけに許された贅沢でした。その後も協会は一般の人々に向けて有名な探険家や科学者による講演会を開催しました。そして、講演会がきっかけとなり、自分も話を聞いてもらいたいと思っていた探険家たちが協会に集まってきました。

 そのなかには、ピアリ、スコット、アムンゼンらが追随した極地探検家の草分けで、2009年1月号特集の「北極探検 二つの物語」でも紹介したフリチョフ・ナンセンがいます。のちに人類史上はじめて南極点に到達したそのロアル・アムンゼンも加わりました。北西航路の航海から戻ったばかりのアムンゼンの講演には数千人が詰めかけたといいます。協会の講演は女性にも大人気でした。

2009年1月号の特集「北極探検 二つの物語」は2部構成。第2部は「ナンセンの影を追って」だった(文=ピーター・ミラー 写真=ボルゲ・オウスラン、トマス・ウルリッヒ)。「2007」とあるのは、探検そのものが2007年に行われたためだ