第1章 1888-1890 ナショナル ジオグラフィック協会誕生
第4回 発明と発見の時代
話をハバードに戻します。
ベルが協会を成長させたとはいえ、“素人”のハバードが打ち立てた基本方針はずっと変わりません。似たような科学団体がこの時期ほかにもたくさんありましたが、そのなかで残ったのはナショナル ジオグラフィック協会だけです。それはハバードの方針のおかげでした。
会長の就任演説で、ハバードは自分が専門家でないことを強調し、こんなふうに言っています。
「私が選ばれたことで、地理学の専門家だけでなく、他の人々の調査を支援し、ますます増える知識を広めたいと願う多くの人が協会に参加できることがわかるだろう。私たちが生きているこの世界について、みんながよりよく知ることができるように」
世界には未踏の地域がたくさんある一方で、科学者は続々と新しい発見をもたらしていました。20世紀の飛躍的な成長のもとになる主な発見は、この時代までにほぼ出揃っています。
科学者に限らず、当時、教養ある人はみな科学に夢中になっていました。印刷機や通信の発達がその熱を後押ししていました。映画と写真機が産声をあげました。自動車もすぐに普及します。先にこの時期はアメリカが世界にはばたいてゆくターニングポイントと書きましたが、その活力源は科学とテクノロジーの進歩でした。
世界はまさに発明と発見の時代を迎えようとしていました。
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さて、協会設立の経緯を紹介する第1章はこれでおしまいです。次の第2章でいよいよ「National Geographic Magazine」が創刊されますので、お楽しみに。
(Web編集部S)
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