第1章 1888-1890 ナショナル ジオグラフィック協会誕生
第4回 発明と発見の時代
ガーディナー・グリーン・ハバードとアレキサンダー・グラハム・ベルは似たもの同士でした。
聴覚障害児の父であるハバード。その教師のベル。
特許事件の弁護士として、また、すぐれた実業家として「ボストン一、いや、アメリカ一」通信技術の発展を求めていたハバード。そして、発声と聞き取りのメカニズムに精通し、電話の研究にのめりこんでいたベル。
ハバードとベルが知り合った時点で、すでにパズルのピースはぴたりとはまっていたのです。親子という関係になる以前から、ハバードがベルの研究をサポートしたのは当然のなりゆきでした。前回ハバードが『サイエンス』を引き受けたと書きましたが、実を言うと、これもハバードとベルの共同事業です。
では、ハバードがベルの義父であったことが協会にとってどうしてそれほど重要だったのか。
それは、ハバード亡きあと、ベルが会長を引き継いでから協会が会員を一気に増やしたからです。協会の運営に関してはベルのほうが何枚も上手でした。会員数を増やすため、ベルは大改革をほどこし、成功を収めるのですが、そのあたりの話は次回以降の第2章でするため、いまは脇においておきましょう。
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