日本人がつくった自然の森――明治神宮「鎮守の杜に響く永遠の祈り」

「神社には杉林」と迫る大隈首相

 1915(大正4)年4月、日比谷公園の設計などで知られる林学博士の本多静六、やはり日比谷公園の設計に携わった造園家の本郷高徳、日本の造園学の祖とされる上原敬二といったそうそうたる顔ぶれを集め、実行機関である「明治神宮造営局」が発足。森の造成計画が本格的に始まった。

 森は「杜(もり)」とも書く。

 中国古来の意味で「杜」は山野に自生する落葉果樹を指すが、日本では神社の「鎮守の杜」や「ご神木」を意味し、さらには広く人の手によって造成された森を指すこともある。古代の神社には社殿のような建物はなく、動物や植物を神霊としたり、森そのものを神社と考えていた。

 「神社の森は永遠に続くものでなければならない。それには自然林に近い状態をつくり上げることだ」――これが基本計画の骨子となった。

 計画の中心を担った本多、本郷、上原の3人が主木として選んだのは、カシ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹だった。もともとこの地方に存在していたのが常緑広葉樹であり、各種の広葉樹木の混合林を再現することができれば、人手を加えなくても天然更新する「永遠の森」をつくることができると考えたからだ。

 ところが、この構想に当時の内閣総理大臣・大隈重信が異を唱えた。当時のことを沖沢さんは次のように伝え聞いている。「明治神宮の森も、伊勢神宮や日光東照宮のような荘厳な杉林にすべきである。明治天皇を祀る社を雑木の藪やぶにするつもりか――と大隈首相は言ったそうです」