第1章 1888-1890 ナショナル ジオグラフィック協会誕生

第3回 初代会長ガーディナー・グリーン・ハバード

ナショナル ジオグラフィック協会初代会長のガーディナー・グリーン・ハバード。ボストン有数の資産家で、弁護士であると同時に実業家でもあった。
© Peter Bisset

 1888年1月13日金曜日の夜8時。33人の紳士たちがコスモス・クラブの集会所にそろい、コーヒーやブランデーを傾けつつ、ゆっくりと始まった話し合いは意外なほどあっさりまとまりました。地理知識の向上と普及を本気で目指すなら、「協会を設立すべき」という米国地質調査所のスタッフの提案がすぐに承認されたからです。

 続けて9人の委員が指名され、次の会合までに具体的なアイデアを提出することになりました。同時に「会員の資格はできるだけゆるくする」という基本方針も決まりました。

 次の会合は2月17日。ですから、組織としてのナショナル ジオグラフィック協会は、この日に誕生したことになります。

 初代会長には、実業家で弁護士のガーディナー・グリーン・ハバードが選ばれました。そして、この人選こそ協会の未来を象徴していたといえるでしょう。

 彼は科学者ではなく、専門家でも探検家でもありません。つまりは素人です。ただし、いくつかの点において、彼はただの素人ではありませんでした。

 ひとつは科学や地理学をはじめ、最先端の学問に並々ならぬ興味を持っていたことです。

 アメリカに『サイエンス』という総合科学雑誌があります。イギリスの『ネイチャー』と並び、ノーベル賞級の論文をたくさん掲載した世界有数の学術誌ですが、協会が設立される6年前に、ハバードは経営の行き詰った『サイエンス』を引き受けていました。

 『サイエンス』がハバードの支援を必要としなくなったのは1890年代半ば。ですから、協会を設立した1888年は、彼がまだ『サイエンス』の面倒をみている最中でした。ちなみに、『サイエンス』はエジソンの支援を受けて1880年に創刊された雑誌です。

 ふたつめは、弁護士としてのみならず、すぐれた実業家でもあったこと。

 彼は通勤で苦労する人たちのために、ニューヨーク市の郊外にはじめて鉄道や馬車鉄道を作り、成功させました。また、伝染病のせいで自分の娘の耳が聞こえなくなったのを機に、聴覚障害者の教育を支援し、のちに専門の学校の理事長に就任しています。ハバードは他人の幸福をかなえようとする情熱家で、それを実現する方法もよくわきまえていました。

 そして最後に、これがもっとも重要なことですが、ハバードはアレキサンダー・グラハム・ベルの義父だったのです。

つづく