「ひええええ~。やめて~。大切なお体なのよ~」
 将来を期待される競走馬の子馬たちなのだから、怪我などさせられない。私は、慌てふためいた。
 二頭の間にも、力の差が現れてきて、一方だけが蹴られっぱなしになってきた。不幸にも、柔らかいお尻を狙われてしまった方で、その子は、遅生まれのために、体も小さかったのだ。
 執拗な蹴りを浴びながら、小さな体が、馬房の隅でうずくまった。

 その時である。
 ちらりと、お尻の部分に鮮やかな赤いものが見えた。
「あれ? 血? 今のは、もしかして血?」
 その瞬間、私は噴火した。それも猛烈な大噴火。
「こらー!」
 怒号のような一喝を入れると、ドアをドン! と開けて、まるで警察の押収のように、馬房の中に押し入った。
 蹴りまくっている子馬のタテガミをグイッとつかみ、引き離して、「いいかげんにしろぃ!」と押しのける。
 するとその子馬は、前足で飛び跳ねてきて、立ち向かってくる始末。子馬とはいえ、危なくてしょうがない。
 どうにか追い払って、壁に寄りかかって動かなくなっている子馬の尻尾をつかみ上げて、その赤いものを覗いてみると、やはり、お尻を十センチほどパックリと切っているではないか。しかも、女の子の部分にまで達している。
 私はもはや、西部警察である。
「犯人はお前か!」と、暴れている子馬のタテガミをもう一度つかんで、
「そろそろ観念せぃ! 馬小屋じゃなくて、豚箱に入れるぞ!」

 そこへ、げじげじ髭のボスが戻ってきた。
 「どうだ~。大人しくしてるかな~♪」と、メロディー付きである。
 まったくもって、のんきなボスであるが、こんなボスでも、子馬のお尻の負傷を見れば、きっと事態を把握するだろう。私は今までの暴れざまを、つぶさに報告した。
 しかし、なぜだかボスは、「おー、そうかー、そうかー」と喜んでいる。
「あれ? 今、私、喜ぶこと言った?」
 頭の中で、ボスに喜びを与えてしまったと思われる言葉を思い返すように探していると、ボスのうれしそうな顔は、さらにニヤニヤとしてきた。
「この子はネ(蹴りを浴びせた方ね)、オーストラリアのちょっと有名な駿馬が父親なんだよ。暴れん坊だけど足が速くてね~。父親の血をひいたんだね~。よしよし。よく暴れろ暴れろ」
 ニヤニヤ。
 む!
 私は怒った。負傷した子は痛そうにうずくまっているというのに、蹴りまくって怪我をさせた子の方が、なぜか褒められているのだ。
 そんなことは、許せません!
 まるで、「いじめられる方が、悪いのよ」と言うような、モンスターペアレントではないか!
 私は、ただただボスのことを細目で見ながら、大きなため息をつくのだった。

つづく

廣川まさき

廣川まさき(ひろかわ まさき)

ノンフィクションライター。1972年富山県生まれ。2003年、アラスカ・ユーコン川約1500キロを単独カヌーで下り、その旅を記録した著書『ウーマンアローン』で2004年第2回開高健ノンフィクション賞を受賞。近著は『私の名はナルヴァルック』(集英社)。http://web.hirokawamasaki.com/

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