必要とする金額は、大したものではなかった。移動のための交通費、わずかな生活費、行く先に持参するおみやげ代。後年の大冒険にかかった費用にくらべるまでもなく、大した金額ではなかったと記憶している。私は社の編集局長に相談し、後援の了承を得た。

 私がなぜ植村の話に乗る気になったのか、いま思いだそうとしても、明快にこうであった、ということはできない。先ほどもいったように、私自身は南極単独横断がどのように可能になるのか、はっきりとつかむことができなかった。しかし、植村の夢には、何かしら強いリアリティーがあった。植村という人間が発散しているリアリティーといったほうがいいかもしれない。

 少し恥かしい気持ちをもって思い出す。私は自分より3歳年下のこの男に、「夢を追う子」を見ていたふしがある。W・H・ハドソンの『夢を追う子』(原題は“A Little Boy Lost”)という少年小説を、学生時代に読んでいた。夢を追うマーチン少年は、夢を追いつづけるという一点で、特別な能力と運命を担わされていた。私は当時の植村とのつきあいに、わずかであってもこの少年小説の影が落ちていたのを、恥かしいような気分で思い出す。

 しかし、植村自身に、そのように観念的なところがあったわけではない。彼は愚直にまっすぐ歩こうとする男だったが、一方で十分にリアリストだった。一歩一歩、じわじわと目標に近づいて行くという姿勢は、堅実でさえあった。壮大な夢とその実現に向けての堅実さ、それが奇妙に対照的だった。

 エベレスト登頂、5大陸最高峰登頂という垂直の登山の世界から、氷と雪の水平への世界への転進。それがこの時点で植村のとった姿勢だった。

 71年、日本列島3000キロを徒歩で縦断。南極大陸を横断するとちょうど3000キロ、その距離を体感するために、北海道の稚内から鹿児島まで歩いてみたのである。愚直といっていいほどの経験主義である。そして72年、南極に初めて入り、アルゼンチンのベルグラーノ基地周辺を偵察した。ついで同年9月、グリーンランド最北端にあるシオラパルク村に入って、そこで暮らしはじめた。犬橇操作を習得するための、予定通りの行動である。着々と、一歩一歩進んでいった。

 しかし予定通りの行動はそこまで。これ以後、植村直己の夢と冒険は意外な軌跡を描くことになる。

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