どこから見ても、これは途方もない話だった。最終目標は数多くのステップを登った先の、はるか彼方にある。

 しかし、植村はそうは感じていないようすだった。彼は、自分の目標を語るのに「南極への夢」とか「南極横断の夢」とか、「夢」という言葉を使っていた。しかしそれは実現の可能性が小さいから夢という言葉にするのではなく、前方にある輝かしい目標という意味で夢という言葉が使われていた感じがあった。

 植村は、南極単独横断について、この最初に語った段階から不思議なほど自信をもっていた。この構想を初めて打ち明けた日でも、説明がとつとつとして、ある部分ではしどろもどろであったのに、腹の底では絶対に実現できるという自信があるように思われた。その日だけのことではない。ほぼ1年後、植村は南極にあるアルゼンチンの基地ベルグラーノを初めて訪れて、氷雪の世界を目にするのだが、そこで克明に記された「南極偵察日記」でも、確信といっていいほどの自信があふれている。

南極単独横断にはアルゼンチン軍の協力が不可欠だった。1982年にアルゼンチン基地に滞在したときのひとこま
(写真提供:文藝春秋 (c) Bungeishunju)

 それにしても、南極単独横断の構想は、この飯場のだだっぴろい部屋で語られたとき、思いきり漠然としていた。少なくとも、私にはその実現をどうイメージしていいのかわからなかった。ただ、先はわからないとしても、そのために次にやるべきことは、具体的でリアリティーがあった。植村はいった。

 (1)アルゼンチン政府、軍の協力を申請して、比較的入りやすいベルグラーノ基地へ行かせてもらい、南極を下調べし、体感する。

 (2)それが成ったら、できるだけ時を移さずにグリーンランドに入る。エスキモーの集落で暮らしながら犬橇の操縦を習得する。犬橇を操れるようになったら、グリーンランド周辺で長い犬橇旅行を敢行する。それは、自分の構想を内外にアピールすることにもなるだろう。グリーンランド滞在はどれぐらい時間がかかるかまだはっきりしないけれど、半年から1年ぐらいを目途にしたい。

 この二つのことを実行するのに、文藝春秋に後援してもらえないか。飯場の日から数回話を重ねるうちに、植村の希望は具体的になり、はっきりかたちをとるようになった。

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