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 1968(昭和43)年10月1日、植村直己は足かけ5年に及ぶ世界放浪の旅から帰ってきた。64年5月初め、アルバイトでためた4万円(約110ドル)を手に海外に飛び出したのは、「ヨーロッパ・アルプスの氷河が一目見たかったからだった」と、植村はのちに語っている。

大放浪時代のパスポート。世界へはばたく植村直己の冒険はここから始まった
(写真提供:文藝春秋 © Bungeishunju)

 そしてその望みは十分に達成された。同じ年の暮れ、アルプスの麓にあるモルジンヌ村(フランス)のスキー場で仕事につくことができたからである。

 植村はこのモルジンヌ村を根拠地として、モンブランやマッターホルンに単独登頂し、アフリカにひとりで遠征してケニヤ山やキリマンジャロにも登った。また、67年にはグリーンランド西海岸にまで旅をしている。68年にフランスを発って南米に渡った。南米最高峰アコンカグアの単独登頂に成功し、アマゾン川6000キロを筏で下るという大冒険をやってのけた。帰国の途次、アラスカに立ち寄って北米最高峰のマッキンリー単独登頂をもくろんだが、許可が下りずにこれは果たせなかった。そして10月1日に帰国。

 このような世界放浪の一千日については、植村の最初の本『青春を山に賭けて』(1971年、毎日新聞社刊、現在は文春文庫)にくわしい。大学卒業直後、海外で過したこの日々については、のちに改めてふれることがあるかもしれないが、いまはさっと通り過ぎておくことにする。

 植村が帰国して1カ月半ぐらい後に、私は初めて彼に会った。そのときのことを語っておきたい。

 1000日にわたって世界を放浪してきた若者が、羽田に到着した。朝日新聞の第3社会面だったかに、そういう小さな記事が出た。

 当時は1ドルが360円、しかも外貨の割当規制がきびしかった。若者が当たり前のように外国へ出て行ける現在とは、事態はまったく違っていた。そういう壁を乗り越えて海外に行く若者がポツポツと出てきていて、彼らの体験談は新鮮で面白かった。私は当時、月刊「文藝春秋」編集部に所属していたのだが、植村というその若者に会い、冒険的な旅行について話を聞こうとしたのである。ちなみに付け加えておくと、私は植村より3歳年長。私自身もまだ若かった。

 11月半ばのある日、植村は文藝春秋を訪ねてきてくれた。意外に小柄というのが最初の印象だった。しかし体はがっしりと厚みがあるのが一目で見て取れた。けっこう寒い季節なのに、彼は長袖の白いYシャツ1枚で、腕まくりをしていたのに少し驚いた。

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