第1章 始まりと終わり 前編

 ほどなく帰国した植村は、突然という感じで北米最高峰マッキンリーに単独で登りに行きたい、といった。そして休む間もなくという感じで、7月30日、アラスカに向けて羽田を出発した。アラスカ州政府が単独登山は許可しないというのを、ねばり強く説得して山に向うことができた。8月26日、マッキンリー山の単独登頂に成功。これで植村は世界五大陸の最高峰登頂者になった。世界で初めての達成である。

 植村は明らさまにそうしたことを揚言したのではなかったが、彼なりに記録を狙い、それを着実に達成していった。誰も表彰してはくれなかったが、彼は心の中でひそかにそれを自分の勲章としていたはずである。

 さて、次は何を目標とするのか。そんなことが少し気になりはじめたとき、植村から電話があった。ちょっと、聞いてもらいたいことがあるんです。いいですよ、会いましょう。今度はこっちから出かけて行きます。ということになって、私は植村がアルバイトをしている建築会社の飯場へ行ってみた。70年の9月末頃である。

 京王線の仙川駅で下り、歩いて10分もかからない場所に彼が寝泊りしている飯場があった。10畳ほどの、家具が一つもないガランと広い部屋に、畳だけは敷かれていた。彼が一人でその部屋を占拠しているのかどうかは聞き逃したが、明るい秋の日の昼下がりで、他に人の気配がなかった。

 私は駅前の店で買ってきた菓子パンとコーヒー牛乳を畳の上に置いた。日本初のエベレスト登頂者は、腹が減っていたのだろうか、クリームパンとアンパンとチョココロネをじつにうまそうに平らげた。私も食欲だけは人に引けをとらない。短い言葉をかけあいながら、たちまちのうちに二人で菓子パンを平らげた。コーヒー牛乳を飲み終えると、植村は部屋の隅に置いてあった大きなキスリングをごそごそ開けて、一枚のたたんだ紙を取り出してきた。

「南極の地図です」と彼はいい、畳の上にそれを広げた。白い部分がやたら目につく、というより他にほとんど記号もないような地図だった。何をいいたいのか、私は一瞬不審に思いながら、白い地図に視線を落とした。そこで植村は、この南極大陸を単独で横断するのが自分の次の目標だ、と語りはじめた。

後編につづく

湯川豊(ゆかわ ゆたか)

評論家、エッセイスト。1938年新潟生まれ。慶応大学卒業後、文藝春秋に入社。『文學界』編集長、同社取締役などを経て、2009年より京都造形芸術大学教授。『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮れの谷』(共にちくま文庫)、『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』(スイッチパブリッシング)などがある。2010年『須賀敦子を読む』(新潮社)で読売文学賞受賞。


本文ではグリーンランドからアメリカにいたる極北の先住民を「エスキモー」と表記しています。この言葉は一概に差別的とされているわけではないものの、一部登場するカナダの先住民は現在、「イヌイット」という呼称を使うように主張しています。しかしながら、本文では植村直己氏が、自らの探検でかかわった極北の先住民一般に対し愛着をこめて「エスキモー」と呼んでいることを尊重し、その呼称を用い、著者の表記もそれに準じています。
(Webナショジオ編集部)