第1章 1888-1890 ナショナル ジオグラフィック協会誕生

第2回 地理知識の向上と普及をめざして

 明治21年の日本では、新橋~神戸間を20時間5分で走る東海道線が全通し、東京朝日新聞が創刊され、また、はじめて市制が導入されました。日本の人口は約3900万人でした。

 米国内の状況に目を向けると、鉄道や蒸気船、さらには印刷機や電話などの普及にともなって、経済が急速に発展していました。しかしその一方で、移民や工業労働者の人口が急増し、好不況の波がめまぐるしく入れ替わる難しい時代でした。ただ、全体としては、大陸横断鉄道が開通してから約20年が経ち、西部開拓時代がほぼ終わりを告げ、いよいよ世界に向けて勢力を拡大してゆくターニングポイントの時期にあたります。

 33人はまさにこの時代の開拓者たちでしたが、そこまで意識していたとは思えません。しかし、地球にはまだ人間が足を踏み入れていない場所がたくさんあったことは事実です。そして、参加者のほとんどは将来、世界の森羅万象を伝えるジャーナリズムに自分が深くかかわることになろうとは想像だにしなかったでしょう。

 さて、コスモス・クラブに集まった面々が、豪華なガス灯のシャンデリアが灯る広いホールに勢ぞろいしました。壁には名士の肖像画が掛けられ、片隅にはとても大きな地球儀が置かれています。ある者は大きくて重厚なマホガニーの丸いテーブルの前に着席し、またある者はその周りに立ったまま、大きな船が出航するときのように、話し合いはゆっくりと始まりました。

1888年1月13日、33人のメンバーがコスモス・クラブに集まったときの様子。画家のスタンリー・メルツォフがメンバーの肖像画をもとに描いたものです。中央のテーブルは協会の歴史を伝えるハバード・ホールで今も使われています
© Stanley Meltzoff

つづく