2009年のISS長期滞在で、窓から地球を眺める若田。
(画像提供:JAXA/NASA)

――低い軌道のほかに、もっと遠い所はどうでしょう?月や火星の有人宇宙開発ははっきり明示されていないようですが、現実的に動き出していると感じますか?

若田:アメリカの動向は世界を大きく左右しますね。前ブッシュ大統領が打ち出した明確な「月」という目標は、政権が替わって今なくなっています。そこに危機感を感じている関係者も多いようです。

無視できないのは、アメリカの民間会社が宇宙輸送技術を確立してきていること。これは長期的に見れば、人類が宇宙進出を続けるための非常に重要なステップです。宇宙開発が産業として存続していくには国家レベルだけでなく、大きなマーケットを持つ業界に広がることが必要です。

宇宙飛行士だけでなく、多くの人たちが宇宙に行くために、宇宙船を低コストで実現する。それによって、その先の惑星への道が開けてくる。「裾野を広く、ピークは高く」。今は次の一歩を踏み出すための「産みの苦しみ」の状況だと見ています。

 宇宙飛行士に選ばれて19年。常に新しいフィールドに身を置いて進化し続けてきた若田飛行士。次が4度目の宇宙飛行になり、約半年間の滞在予定を加えると合計約340日間の日本人最長の滞在日数を記録することになる。
 彼にとって、宇宙を目指すことの醍醐味とはなんだろう。

若田:宇宙は限りないフロンティアを提供してくれる空間です。宇宙を探ることで新しい知見が得られ、人間の知的好奇心を満たしてくれます。さらに日常生活を豊かにする技術が生まれる。

そして宇宙で一つの目標に向かって宇宙飛行士や、世界の数カ所に点在する管制チーム、技術者、科学者と協力することで、国や民族の違いを超えて「地球人的な価値観」が生まれます。冷戦下で拡大、発展してきた有人宇宙活動ですが、今や米ロが協力することによって、より平和な時代を築くことに貢献している。世界で紛争が絶えない今、その意味は大きいし、宇宙への挑戦の魅力ではないかと思います。

雲に覆われた地球を背景にした、2011年3月のISS。
(画像提供:NASA)

――今年はガガーリンが人類で初めて宇宙に飛んでから50周年です。ガガーリンは「地球は青かった」と表現しましたが、若田さんはなんと表現しますか?

若田:やっぱり暗黒の宇宙空間に浮かぶ地球を見ていると、それ自体が一つの大きな命のようで、宇宙の中のオアシスに思えてきます。生きとし生けるものを薄い大気層で守ってくれる。宇宙から見ると、本当に少ない確率で私たちはこの素晴らしい故郷と自分の命をもらっていること、生命体が存在することの奇跡を感じるのです。「命って有り難いなぁ」と。

同時にロケットが爆発せず、死ななくて本当によかったと実感しますね。私たちは宇宙に行くだけではなく、地球をよく知り、環境を守り、共存していかなければならない、と強い使命感を感じています。

(おわり)

若田光一

若田 光一(わかた こういち)

1963年、埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。1989年に九州大学工学研究科の修士課程を修了後、日本航空の点検整備部へ。1992年4月にNASDAの宇宙飛行士候補に選ばれる。1996年には日本人初のミッション・スペシャリストとしてスペースシャトルに搭乗、2000年10月の2度目の飛行では日本人として初めてISS建設に参加。さらに2009年の国際宇宙ステーション長期滞在も日本人最初だった。2010年にはNASA宇宙飛行士室ISS運用ブランチチーフを務め、今年、2013年末からの長期滞在で国際宇宙ステーション船長を任命された。

林公代(はやし きみよ)

ライター。福井県生まれ。日本宇宙少年団の情報誌編集長を経てフリーライターに。宇宙飛行士の取材歴は20年を超える。著書に『宇宙飛行士の育て方』、『宇宙の歩き方』、『宇宙においでよ!』(野口聡一氏と共著)など。

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