Vol02 2001年~2011年 事故と管理職で、私は進化した

2000年12月当時の国際宇宙ステーション(ISS)
(画像提供:NASA)
2000年12月当時の国際宇宙ステーション(ISS)
(画像提供:NASA)

 2000年10月に若田が2度目の宇宙飛行から帰還した1週間後、米ロの宇宙飛行士がISSへの初の長期滞在に向かった。「ISSで長期滞在始まる!」というニュースは世界を駆け巡り、いよいよ宇宙に暮らし仕事をする時代が始まるという期待感が高まった。当時ISSは2004年の完成を目指しており、スペースシャトルが約2カ月に1回のペースで実験棟や太陽電池パネルなどを運び上げ、ISSは徐々に大きくなりつつあった。

 日本の飛行士もみな、次の宇宙飛行に向け準備を重ねていた。野口聡一がISS建設ミッションに任命されたほか、若田も長期滞在に向けた訓練を始めていた。宇宙飛行士も技術者も管制官たちもISSの完成に照準を合わせ、忙しく充実した日々を送っていた。

 ところが野口の飛行が1カ月後に迫った2003年2月1日、事態が一変する。宇宙から帰還し、着陸を16分後に控えたコロンビア号がテキサス州上空で空中分解、7人の宇宙飛行士の命が失われたのだ。スペースシャトルの飛行は凍結した。悲惨な事故に直面した若田は何を思い、どう行動したのだろうか。

コロンビア号の事故の後、ジョンソン宇宙センターに献花する人々。
(画像提供:NASA)
コロンビア号の事故の後、ジョンソン宇宙センターに献花する人々。
(画像提供:NASA)

若田:ツライ時期でしたね。スペースシャトルはコロンビア号以前にも大事故を起こしています。1986年、チャレンジャー号が打ち上げ直後に爆発したのです。でもその時私は宇宙飛行士ではなく、事故にあった宇宙飛行士を直接は知りませんでした。でも今回は違う。ジェット機訓練で一緒に乗り、シミュレーション訓練や山中での過酷なリーダーシップ訓練を共に行った同僚が亡くなった。自分は何のためにこの仕事をしているのか、どうして宇宙に行かなければならないのだろうと根本に戻って自問自答したし、家族とも話し合いました。

でも考えた末に、リスクがあっても、それ以上に人類は宇宙から受ける恩恵が大きいと自分自身、納得しました。だから宇宙への歩みを止めてはならない。危険を恐怖としてとらえるのでなく、危険を最小限にするために何をしなければならないかを考え、実行することが自分の役目だと思ったのです。