第1回 被災地で確信を強めました。

――リバース・プロジェクトについて伺う前に、東日本大震災の直後に取り組んだ「義援米プロジェクト」についてお聞かせください。

 被災地の悲惨な光景をテレビで見て、居ても立ってもいられない気持ちになった人は多かったと思います。ぼくもその一人。でも、何ができるのか、まったく見当がつかなかった。震災直後の2、3日は、現地のことがほとんどわからなかったし、パソコンの前に座って、ツイッターからもれてくる被災地の膨大な叫びや情報を集めながら、被災地域に必要で信頼のおける情報を出来るだけ精査し、ツイートし続けるしかできませんでした。
 政府や東電の発表も含め、どれが正しい情報であるのかというのも不確かな時間。その一方で、被災地では食料がないという確かな情報がありました。しかし、爆発し続ける原発をテレビを通してみて、自分の安全も分からず、得体の知れない恐怖を感じながら、悲痛な危機の声に涙したり、助かった声に感動したり、なるべく多くの人々と共有することしかぼくには出来ませんでした。

――とはいえ、震災から4日後には、ウェブで義援米を集める呼びかけを始めていますね。

 早い時期から動き出せたのは、リバース・プロジェクトで知り合った仲間たちのおかげです。ぼくたちは今「衣食住」の3つをテーマにさまざまなプロジェクトを展開しているのですが、その「食」の部門(House475)で一緒にやっている覺張雄介さんが最初に提案してくれたんです。

日本有数の米どころとして知られる新潟県魚沼。この地で代々続く米屋4代目と農家5代目の熱い想いに賛同し、農家の未来を考える「RICE475」プロジェクトを始動させ収穫したお米の販売を行っている。
(写真提供:リバース・プロジェクト)

 彼は、新潟の米屋さんですが、食料不足の点で「ぼくらは米を集められると思う。何かできないか」という提案をもらいました。そこでぼくは普段から一緒にお仕事をさせてもらっている方から、運送会社を紹介してもらうことができました。そして、「よし、やろう!」と。
 被災地の米、食料不足が解消されるまで、1カ月弱くらい続けたのですが、結果として131名の方から提供していただいた3195キロの米を送ることができました。

――それと併せて、支援物資を送る取り組みも?

 それは、同じころにJ-WAVEのDJをされている丹羽順子さん(サステナビリティー活動家)との出会いがきっかけです。個人支援物資を送ろうと。
 個人支援物資は、物資の仕分けが大変なので、そのころはまだ避難所以外の場所には届きにくかったんです。そこで、J-WAVEが主体で物資を集めて、それをぼくらが仕分けスタッフと一緒に現地へ送り込むということをしたんです。これも、かなりの便数が東北各地へ行きました。