第6回 これからの痛みの医療と“お化け屋敷論”

「圧迫があるところを確認して解除すれば効果はあるんです。でも、痛みがとれない人もいるし、手のしびれ感はほぼ全員に残る。中には手は動くようになったんだけど、前よりもビリビリ痛くて、こんな手やったら使えんやないかとか、いろいろ言われるんですね。それで、ネコの脊髄で実験をやり始めて、索路がどうつながっているのか見ていったんですけど、それでもなぜ痛みが残るかってよく分かりませんでした。当時は、整形外科の専門誌には、痛みの話題はあまり載っていなかったので、神経生理学系の雑誌を図書館で読みまくったりしていました。それで、アメリカで、神経障害性疼痛の研究を動物実験でやっているところを知って、それで留学したんです」

 牛田さんが留学したのはテキサス大学医学部で、ラットを使った神経伝達の実験にあけくれる。ラットの脊髄後角、つまり、痛み刺激の信号が脊椎に入っていくところの細胞に電極を刺して、神経伝達の実験を繰り返した。

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「当時はまだ、僕の関心は脊髄だったんです。頭、脳の問題だと思うようになるのはもっと後で、このときは脊髄でどう神経がつながっているからどうやったら治るのかということをひたすら考えていました。それで、日本に帰ってきて、30代なかばになって、自分が手術の術者になったときに、先ほどお話しした、アロディニアの患者さんに脊髄の神経を切る手術までやっていますから。そして、21世紀になって、04年、05年くらいにかけては、この件に関心のある少人数の集学的なユニットを麻酔科や精神科の先生と一緒に作って、いろんな治療をやってました」

 牛田さんはこの時点で、今でいう「生物心理社会モデル」に近い考えを持つようになる。慢性疼痛というものは、怪我をしたときにダメージを受けた組織や、神経伝達路の損傷だけでなく、脳に入ってから起きることが大きく寄与していることと、その際には心理的、社会的な修飾を受ける、ということだ。これはもう世界の医学界では主流の考えになっており、牛田さんはそれを日本で臨床現場に取り入れた最初の一群の医師の一人となった。

「2007年になって、愛知医科大学に集学的な痛みの治療施設をつくるというので、声がかかって移ってきました。僕は、高知でも、さっき言った集学的なユニットを作ったり、患者会を立ち上げたりしていて、物事が動いていたので、すごく迷ったんですが、こっちに来ようと思った理由には、名古屋大学の教授で、愛知医科大学の教学監になった熊澤孝朗先生の存在が大きかったです。熊澤先生はもう亡くなってしまった先生なんですが、痛み研究では世界的な第一人者ですし、このセンターの名前『学際的痛みセンター』というのも熊澤先生の命名なんですよ」

 2007年に愛知医科大学に移ってからの牛田さんの研究や臨床の取り組みは、これまでの連載でかなり触れた。これは実を言うと、厚労省が本格的に慢性疼痛対策を始めた時期と重なっている。