一方で、こういった、痛みの悪循環から脱却できる人もいるし、そこに、牛田さんのような医師や医療のチームが関わることもできるというのが、まさに勘所だ。

「一つの例ですけど、全国レベルの競泳選手で、飛び込みをした際に胸髄(きょうずい)損傷した人がいます。『下半身がずっと氷水につけられているように痛い』と言っていて、抗うつ薬なども効かず、自殺しようとしたこともありました。でも、車椅子バスケットボールのチームに誘われて、そこでがんばってリーダーになっていくんです。今では社会復帰していて、痛みはあるけど困らない、というんですね」

 ここでは、車椅子バスケに入るところが大きな分岐点であるようなのだが、そこに至るまで、悪循環の中で体が固まってしまうのを防ぎ、運動を推奨し、痛みがある中でも、それと付き合っていくためのカウンセリングなどをしてきたからこそ、その一歩を踏み出せた。本当に不思議なもので、痛みにとらわれて意識をそればかりに集中していると耐え難いことだったのが、別のことに関心を移した瞬間(リフォーカス Refocusという)、耐えられるものになるというのは、よくあることらしい。

痛みは本当に不思議だ。
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「アロディニアで手が焼けるように痛くてとか言っているような人も、例えば別のところにもっと大きな怪我をしたり、極端な話、膵臓(すいぞう)がんですって言われたりすると、痛みの方はすごく楽になってしまうんですよ。じゃあ、気の持ちようとか、気のせいなのかと言われますが、ニューロサイエンス的にはちゃんと神経メカニズムが証明されてきています」

 それにしても……恨みや怒りによって痛みに固執することで、ますますその状況を固定してしまい、脱出できなくなるというのは本当にやるせない。こういった感情は人にとって自然なもので、特に「怒り」はしばしば閉塞した事態を打破して好転させるきっかけになったりもするようにも思うけれど、こと慢性疼痛にはまりこんだら、別のことに意識を振り向けないといつまでもそこにとどまることになってしまうかもしれないというのである。

つづく

牛田享宏(うしだ たかひろ)

1966年、香川県生まれ。愛知医科大学医学部教授、同大学学際的痛みセンター長および運動療育センター長を兼任。医学博士。1991年、高知医科大学(現高知大学医学部)を卒業後、神経障害性疼痛モデルを学ぶため1995年に渡米。テキサス大学医学部 客員研究員、ノースウエスタン大学 客員研究員、同年高知大学整形外科講師を経て、2007年、愛知医科大学教授に就任。慢性の痛みに対する集学的な治療・研究に取り組み、厚生労働省の研究班が2018年に作成した『慢性疼痛治療ガイドライン』では研究代表者を務めた。

川端裕人(かわばた ひろと)

1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『青い海の宇宙港 春夏篇』『青い海の宇宙港 秋冬篇』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、ブラインドサッカーを舞台にした「もう一つの銀河のワールドカップ」である『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。

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