第5回 整形外科の医師がゲノム研究者になった理由

 疾病バイオバンクを運営する立場で、今後大きく進展するであろう研究のジャンルはなにかと問うと、松田さんは「ヒューマンノックアウトプロジェクト」と答えた。

 耳慣れない言葉だが、「ノックアウトマウス」なら聞いたことがある人も多いのではないだろうか。特定の遺伝子を無効化(ノックアウト)する操作を施されたマウスのことで、その遺伝子の働きを調べるような動物実験で使われる。「ヒューマンノックアウト」はそのヒト版だが、実験のために特定の遺伝子を無効化するのはありえないので、バイオバンクに集積されたDNAデータを活用することになる。

「数十万人のデータが揃ってくると、ある遺伝子が欠けていたり、まったく機能しないような例も出てきます。これは実質的に、その遺伝子をノックアウトした状態ですよね。もしもそれが、1万人に1人ぐらいの非常に頻度が少ないものでも、27万人いればその中で27人はいます。その27人について、どういう病気になりやすかったというような情報を調べることで、ヒトレベルでどの遺伝子がどういう機能を持っており、いろんな表現型、体質とかに関わってくるかというのがおそらく分かってきてます。これまで我々が行ってきたのが、病気の人のゲノムから関係ありそうな遺伝子を見つけていく『順方向(フォワード)の遺伝学』だとしたら、こちらは稀な遺伝子を持っていたり、あるいは持っていない人がどんな病気になりやすいかなどを見ていく『逆方向(リバース)の遺伝学』です」

 1万人に1人の変異で特定の遺伝子が働かない人というのは、こういったバイオバンクがないとなかなか見いだせない。ちなみに、本連載で話題にしてきた一塩基多型でも関連する遺伝子が働かなくなることがあるが、それとの違いは、実は頻度だ。「変異」ではなく「多型」と言う場合、その集団で1パーセント以上の割合でみられるものを指す。それよりも稀なものは「変異」として扱われる。1パーセント以上もあるようなものは、変異だとか異常とか言わずに、すでに定着しているヒトの多様性の一部であると理解した方がよい、ということでもある。一方、「多型」ではなく「変異」を見つけたら、それはそのまま新たな研究テーマに直結する。

「逆方向の遺伝学ということで、そういう方々を見つけたら、より詳しく表現型を調べることになります。我々は、臨床情報を5000項目も集めていると言いましたけれど、それでもごくごく限られた範囲のものです。例えば、この遺伝子がインフルエンザに関係するウイルスの感染経路に関係するかもしれないという時に、その人がインフルエンザにかかったかどうか細かい情報までは集めていません。もしくは認知症に関係するかもしれないとすると、その人が認知症になったかどうかとか、いくつで発症したか、例えばその人の病院にアクセスして情報を得れば、データを調べることで様々なことが明らかになっていくはずなんです。場合によっては、本人や家族の方にインタビューをお願いすることもあるかもしれません」

 もちろん倫理的な問題はクリアしなければならないのだが、データを集積するということはつまりこういうことだ。