「これまでは、観測したスペクトル線を、既存のデータベースと照合して、どんな分子があるのか見つけてきたんですが、ALMAの観測は、感度も分解能も高いので、それでは精度が足りなくなってきてしまったんです。そこで、研究の上で必要な物質のスペクトル線を自分たちの実験室で測定しはじめています。私が、電波天文学の観測をしながら理研にいるというのは、ここから先、分子科学の知識がないとどうにもならないからなんですよね」

 これまで使ってきた市販の「定規」(スペクトル線のデータベース)の精度では間に合わなくなったので、自分が必要なところの定規をみずから作る、みたいなことだ。

チリのアタカマ砂漠にあるアルマ望遠鏡。世界最大級の電波望遠鏡だ。(画像提供:坂井南美)
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「なぜそれをやらなければならないかというと、たとえばこういうものを見てください」

 坂井さんは、ALMAで観測したデータを見せてくれた。ところどころにぴょこんと突き出したスペクトル線が見えている。

 と同時に、それほど突き出しているわけではないけれど、小さなピークがもっとたくさん見える。

「これ、わたしたちはウィード、雑草と呼んでるんですけど、飽和有機物に富んだ天体ですと、やたらといろんなところにスペクトル線が出ます。特に、メチル基(CH3-)があると本当に雑草みたいです。ALMA以前の観測では、見えているスペクトル線の9割以上同定できていたんですが、ALMAの観測では、場合によっては、半分以上が、U-line("Unidentified line")、つまり、未同定線、まだ同定できていないスペクトル線ということもあります」

 実はここで、同じ有機分子でも、不飽和の炭素鎖分子では、これほど「雑草だらけ」にはならないというのがおもしろい。飽和した有機物の方が、観測上もどこか賑やかなのだ。

「そんなわけで、どこまで複雑な分子があるのかなって探すときに、これは実はもう知っている分子のラインですよというのを取り除いていかなければならないんです。それで、ちょっと地道で泥臭い作業ではあるんですけど、本当に私たちの観測の目的に即した形で実験をして、どんな化学物質がどんなスペクトル線を出すのかきちんと調べています」

 なお、既存のデータベースで精度が足りなくなるひとつの原因は、「同位体」の存在だそうだ。炭素にせよ水素にせよ、通常の原子よりも重たい同位体が存在しており、同じ化学物質でも構成する原子の同位体によっては、微妙に違うスペクトル線を出す。それが例の「雑草」の原因の一つでもある。坂井さんたちにとっては、その一つ一つを詳しく知ることが大事だけれど、他の分野の研究者にとってはそれほどでもない、という話だ。

「分子分光学の専門家にお願いしようにも、もう分かっている分子の単なる同位体なんて、重箱の隅をつつくようなもので、面倒くさいだけなんですよ。だから、最初は分子分光学の研究室の装置を使わせてもらって測定させてもらったりしていたんですけど、それでも足りなくて、じゃあ、自分たちでやってしまおうということになったんです」

 今、この研究がようやく本格的に動き始めたところで、論文にするのもまさにこれからだそうだ。もし「新しい定規」が確立されれば、これまでにALMAで行った過去の観測データも含めて、再検討できるわけで、実は既存データの中に含まれているのに見いだされていないお宝(発見)が出てくることもあるかもしれない。

 そして、それを直近のデータの50天体分の観測でうまく活用すればどうなるだろうか。原始星で起きていることがより鮮明になって、時に大きな「副産物」を生み出しつつも、坂井さんの究極の目標である生命の化学的な起源に近づいていけるはずだ。

 報告を待とう!

SAKAIの「K」が!
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つづく

坂井南美(さかい なみ)

1980年、高知県生まれ。理化学研究所 開拓研究本部 坂井星・惑星形成研究室 主任研究員。博士(理学)。2004年、早稲田大学理工学部物理学科を卒業。2008年、東京大学大学院理学系研究科博士課程を修了し、助教に就任。2015年、理化学研究所准主任研究員、2017年より現職。2009年に優れた博士論文を提出した研究者に贈られる井上研究奨励賞を、2013年に日本天文学会 研究奨励賞を受賞。2019年には文部科学省の科学技術・学術政策研究所による「ナイスステップな研究者」に選ばれた。

川端裕人(かわばた ひろと)

1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『青い海の宇宙港 春夏篇』『青い海の宇宙港 秋冬篇』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、世界の動物園のお手本と評されるニューヨーク、ブロンクス動物園の展示部門をけん引する日本人デザイナー、本田公夫との共著『動物園から未来を変える』(亜紀書房)。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。

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