第1回 「星々の進化系統樹」の謎に挑む今注目の研究者

「今、私たちは、宇宙に有機分子のような複雑なものがあることを当たり前のように語っていますよね。でも、20世紀の終わり頃までは、宇宙空間で化学進化して複雑な分子になるなんて、考えられていなかったんです。宇宙空間はほとんど真空ですから、分子と分子、原子と原子がぶつかる頻度も非常に少ないんです。地球上だと1秒間に数億回、1立方センチメートルの中でぶつかるんですが、宇宙空間だと数日から1年に1回くらいになってしまうので、複雑なものをつくろうにもつくれないと思われてきました。それが、1970年代、1980年代に、電波望遠鏡による星間分子の発見ラッシュというのがありまして、宇宙でもいろんな分子ができているんだと分かってきました」

 電波天文学の発展をきっかけに、実は宇宙空間には様々な分子が存在していると分かってきた。20世紀末の段階で、百数十種がリストアップされており、それらの中には、一酸化炭素、水、アンモニア、シアン化水素など、比較的単純なものからはじまって、エタノールのように炭素原子を2つ以上持つやや複雑なものもあった。

宇宙空間の様々な分子を観測できる電波天文学の発展がまず前提にあったという。
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 こういった分子が見つかったのは、宇宙空間にガスやチリが薄く集まってできている星間分子雲と呼ばれるものの中だ。そして、星間分子雲は、星々が生まれる場でもある。薄い「雲」の中に、なんらかの理由で密度が高くなった部分があると、そこが自らの重力で収縮しつつ、より多くの物質を引き寄せるようになり、やがて星の赤ちゃんともいえる原始星を形作る。そして、そういった原始星の中でも、とりわけ質量が大きなものや、銀河の中心のように高温で密度も高い激しい環境にあるものの周りから、複雑な分子が発見されるようになったのだという。

 一方で、ぼくたちの太陽に相当するような比較的小さな原始星の周りでは、なかなか見つからず、そもそも複雑な分子を宇宙空間で作るためには何らかの激しい環境が必要なのではないか、という説も唱えられるようになった。いずれにせよ、天文学者にとって大きな謎だった。

「2003年、鍵になる論文の一つが出ました。フランスの研究チームが、へびつかい座にある赤ちゃん星、原始星の周りでギ酸メチル(酢酸の異性体)や、ジメチルエーテルという、ちょっと複雑な有機物をついに検出したんです。この原始星は、私たちの太陽に近い小ぶりのものでした。もしこれが本当なら、地球ができたときにも最初から有機物はあったんじゃないかっていう話が出てきたんです」

 宇宙の片隅の、肉眼では見えもしない原始星の観測から、一般の人が聞いたことがないような有機分子が見つかって、それによって、研究者たちのものの見方が変わった。今、生命のもとになっている有機物の起源が、太陽系ができる時よりもさかのぼる可能性が出てきたのである。そもそも、有機(英語では、オーガニック organic)という言葉自体が、生命活動を前提とした言葉だと考えると、生命よりも先に有機物ワールドのようなものがあったというのは、実に感慨深い。

 坂井さんがこの領域の研究に参入するのはまさにこのタイミングだった。