第5回 「移民」って、「日本人」ってなんだろう?

 結局、目の前にいる人たちのことをいないことにしてきてしまったのが、日本の「移民問題」の特徴なのかもしれない。「いない」のだから、問題が起きても見えないし、政権も「移民政策ではない」と言い続けることができた。

 でも、これからはそうはいくまい。今ですら人口の数パーセントはいる「移民」が可視化され、また、さらに増えていくとどうなるのだろうか。鈴木さんの観点では、日本は「すでに移民社会だ」ということになるけれど、それはもう避けられないものとして受け入れなければならないのだろうか。

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 このあたりになると、とたんに抵抗感をいだく人が増えるような気がする。

 日本が日本ではなくなってしまう。日本が、ぼくたちの国ではなくなってしまう。そんな不安を感じる人もいるだろう。

「実は、2001年にネットで調査したことがあるんです。『日本人』に求められる条件って何ですかって。日本語なのか、血統なのか、日本で生まれたことなのか、日本文化なのか、日本で教育を受けたことなのか、どれが一番大事ですかと。それで、その時は圧倒的に『血統』が多かったんです。でも、最近、変わってきていると思います。私は、毎年学生たちに講義で同じ質問をするんですが、『血統』ではなく、『日本文化』や『日本語』という回答が増えてきました。時代とともに日本人像っていうのは異なってきていて、それは、社会の一つの変化なのかなと思います」

 比較的最近まで、ぼくたちは「日本人」について、素朴に「血統」で決まると信じてきた。しかし、今は、その「日本人像」では対処しきれないほどの多様性を、すでに社会が持っていると多くの人が気づき始めたのだろうか。

 考えてみれば、歴史的に言って、同じ場所に同じ血統の人たちが住み続けることはまずない。

 たとえば、「縄文時代の日本人」(国家はなくともそこにいた人たちという意味で使う)は、「現在日本に住んでいる多数派」とは違う。国立科学博物館人類研究部が、福島県の貝塚から見つかった3000年ほど前の縄文人の核ゲノムを調べたところ、現在の日本人(東京でサンプルを得た本州出身者)のゲノムで縄文人に由来するのは14~20%ほどだったそうだ。そして、「現在の日本人」はむしろ中国、ベトナムなど、東ユーラシアの集団との親和性が高かった。いずれも、2016年に発表された論文に記されている。