日本国内に労働力需要があり、近隣の国から呼応するかのように労働者が集まった。意図して呼び込んだというわけではなかろうが、労働力不足に悩む企業にとっては、貴重な労働者であった。

 しかし、この状況はやがて変わっていく。

「1989年の入管法改定が1つのターニングポイントです。日本の優れた技能等を途上国に移転する国際貢献としての研修制度が、それまでは留学の一形態だったものから、独立した在留資格『研修』になりました。また、同じ入管法改定で、新たに『定住者』という在留資格がつくられました。これは、就労に制限のない在留資格で、どのような職種で働くことも可能なのですが、改定入管法が施行される90年6月の直前の5月になって、定住者告示という法務省の省令で『日系3世(とその配偶者、及び未婚未成年の子)』がそれにあたる、とされたんです。政府は『単純労働者』は受け入れないと言いながら、実際のところ『単純労働者』を必要としていたということです」

 1989年といえば、年末に日経平均株価が史上最高値を記録したバブル景気の最盛期だ。オーバーステイの非正規滞在者ではなく、「合法的な」ルートを作ろうと日本政府が取った方法は二本立てだった。まず、留学生の延長だった「研修生」(学ぶ人)を独立した在留資格「研修」として認めること。そして、南米などの「日系3世」を「定住者」として認めることだ。

 この時点では、就労に制限のない「定住者」の方がより「使いやすい」ものだったことが想像できる。

「90年代は、ブラジルやペルーなどの日系南米人が急増しました。愛知県豊田市や豊橋市、静岡県浜松市、群馬県太田市や大泉町といった、製造業が集積する特定の地域に集まる傾向があります。リーマン・ショックを契機とした景気低迷によって職を失い、帰国した人も多いのですが、今なお20万人以上が日本で生活しています」

 では、研修生の方はどうなったのだろうか。

「もともと国際貢献なので、大企業が受け入れることを前提とした制度だったのですが、施行直後の90年8月に、事業協同組合などを受け入れ団体とする団体監理型というのができるんです。これによって、中小零細企業も受け入れられるようになりました。ただし、在留期間は1年だけですし、受け入れる側からすると、手続きなどが煩雑であまりうまみがない。そこで、93年に技能実習という、学んだ後に働いてその学びを活かしてもらいましょうという制度ができて、1年研修・1年技能実習というふうになりました。さらに、97年には最長3年に、2017年には最長5年の滞在が可能になりました。また、当初は研修から移行できる職種が製造業を中心に17分野に限られていたんですが、2000年代に農業や水産加工なども移行職種に加えられて、大幅に人数が増えていきます。農業だけでなくて、牡蠣の養殖ですとか地場産業なんかですね」

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