移民というのは、「現在の国籍にかかわらず、国境を越えた移動により別の国に暮らすようになった人びと」のことだ。

「移住者と連帯する全国ネットワーク」が政策提言をまとめた小冊子『移民社会20の提案』。
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 移民の定義について誰もが合意する明確な定義はないけれど、ここは鈴木江理子教授が副代表理事としてかかわるNPO法人「移住者と連帯する全国ネットワーク」の小冊子『移民社会20の提案』から採った。また、同冊子では、移住先で生まれた移民2世や3世などを「移民ルーツ」と呼び、「広義には、(移民ルーツの)彼ら彼女らも含めて「移民」と記載している場合がある」としている。鈴木さんもこういった「移民ルーツ」まで含めて、「移民」と捉える立場だ。

 この捉え方だと、例えば、親のどちらかが外国籍で、日本に居住している「ダブル(ハーフ)」の子どもも「移民」に含まれる。ぼくは、そういう「ダブル(ハーフ)」の子たちをかなり知っているけれど、それは「移民」だろうかと少しひっかかりを覚えた。親しいダブル(ハーフ)たちは、自分が「外国ルーツ」を持つことは明確に意識しているけれど、親の片方は日本人で、自分も日本で生まれ、日本で育ち、日本語で生きてきた人たちも多く、「移民」と言われると違和感があるのではないだろうか、と。

国士舘大学教授の鈴木江理子さん。日本の移民を研究するかたわら、外国人の支援も自ら行っている。
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「たしかに、ダブル(ハーフ)の子どもの場合など、本人が移民と言われることは望まない場合が多いんです。でも、私としては、彼ら彼女らの背景には異なる文化とのつながりがあることに気づくことが大事だと考えて、あえて移民として捉えています。この社会は多様な人たちで成り立っていて、地域社会にも学校の教室にも、あるいは働く職場においても、移民は身近にいるんだよということにまず気づいてほしいんです。そして、じゃあ、こういった人たちとどんな社会をつくっていくのかと考えていければということです」

 まずは、多様性を認識するきっかけとして、「移民」の範囲をここまで広げておいた方がよいのでは、ということだ。実際、アメリカやオーストラリアやニュージーランドなど、移民が作った国では、「私はアイルランド系アメリカ人」「ぼくはドイツ系ニュージランド人」といったふうに自分の移民としてのルーツを明確に意識して、明示する人たちが結構多い。そして、その結果、常に社会の多様性がイメージしやすくなるということはあるかもしれない。

「それに、今では、日本国籍を持っているからといって、必ず日本語ができるわけではないんですよね。日本語指導が必要な児童生徒の調査を文科省がやっているんですけども、そこでは外国籍と日本国籍の両方を調査の対象にしています。その調査結果では、日本国籍の子どもにも、日本語指導が必要な子がいることが示されているんです。こういった現実をふまえて、移民政策を考えていく必要がありますね」

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