第2回 昭和、平成、令和―日本に来た様々な「移民」たち

 ただし、今では1世の高齢化による死亡、日本国籍の取得や日本人との結婚などによって、戸籍上の外国人としてのオールドタイマーは少なくなりつつあるという。

「それでも、その存在は踏まえたほうがよくて、今、日本の過去のいろんなことが消されていってますよね。例えば関東大震災における朝鮮人虐殺に関しても、小池都知事になって以降、都知事は、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送らなくなりました。学校の教科書の記述もかなり変わってきていて、そういった部分が消されて、忘却されていくわけです。でも、過去を知らないと、じゃあ、なぜ朝鮮学校があるのかといった意義も分からなくなります。今、多様な人が日本に来ている時にこそ、やはり過去を踏まえる必要があると思うので、まずはそのことを強調しますね」

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 日本に生まれ育った人なら、誰でも、身近なところで、ここでいう「オールドタイマー」との接点があるはずだ。ぼく個人で考えても、小中高、そして大学などの学校に通う際にも、大人になって住んだ地域にも職場にも、朝鮮半島ルーツの2世、3世、つまり、ここでいうオールドタイマーがいた。ここで気付かされるのは、彼ら彼女らは、まさに本稿の定義ならまさしく「移民」だということだ。

 そういったベースがありつつ、日本が次に「外国人」を受け入れるのは、1970年代の「中国帰国者」だ。1964年生まれのぼくは、この「残留孤児」の話題をよく覚えている。幼い頃に家族と生き別れて遠い国で育った人たちの帰還は、当時、まだ小学生で自分自身幼かったこともあって、胸に響いた。

「1972年に中国との国交が回復したことで、敗戦の混乱の中、中国東北地区に取り残されてしまった『残留孤児』や『残留婦人』の肉親捜しが、政府の支援のもとに始まり、『残留孤児』や『残留婦人』、その家族が、日本に永住帰国するようになりました。国費による帰国者とその家族は2万人強、私費での帰国者やその家族・親族を含めると10万人以上になると言われています」

 もともと日本人だった人たちとその家族が「帰国」したのだから移民というのは違和感があるという人もいるかもしれないが、これも「国境を越えた移動により別の国に暮らすようになった人びと」であることには変わりないだろう。

 さらに1978年からは、社会主義国になったインドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)から逃れてきたインドシナ難民の受け入れが始まり、1万1000人以上が定住資格を得た。また、難民条約が発効した1982年以降は、条約に基づいて日本政府が認定した難民の受け入れが始まる。もっとも、日本の難民認定は狭き門で、これまでに認定されたのは750人(2018年末時点)にすぎない。

 ここまでは戦争によってもたらされた混乱をなんとか復旧する営みや、近隣諸国の政治的な不安定に基づくものが中心だが、やがて日本が次第に経済発展するなかで、労働目的に日本にやってくる外国人が増える。