第5回 日本の恐竜文化が変貌した、ほぼ平成30年史

 日本の恐竜は、かつての「断片だけ」から、全身に近い良好なものも増えた。2006年に兵庫県丹波市で発見され、2014年に学名がついた丹波竜(タンバティタニウス・アミキティアエ)もそうだし、今回の恐竜博で展示される「むかわ竜」もその最新の事例だ(論文は投稿中)。全身が見つかり、科学的な名前を与えられるような種は、たしかに、復元画になっても本当らしさが違う。

平成は『ジュラシック・パーク』、羽毛恐竜、「むかわ竜」と続いた時代だった。
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 そのように一般への受容が「身近で具体的」になるのと同時進行で起きたことがある。

 つまり、恐竜の研究者、あるいは、古脊椎動物の研究者を志す人が増えた。

「僕が学生の頃はもちろん、科博に就職した1994年の時点でも、例えばどこか日本の学生が、恐竜の卒論、修論、博士論文を書きたいと思ったら、結局、最後は海外留学するしかなかったんです。でも、この頃から、留学した人が日本に帰ってきて、学生さんを指導できるようになったことが大きいと思います。今は日本国内でも、恐竜をテーマにして、優秀な学生さんたちがいい研究をしていますよ」

 真鍋さんは詳しく言わなかったけれど、若い研究者を育てるにあたって、真鍋さん自身が着任後しばらくの間とても重要な役割を担っていたように見える。真鍋さんは「海外で学位を取って帰国した研究者」の中でもパイオニア的な立場だったし、国立科学博物館という国の自然史研究の基幹的な施設にいたこともあって、一時は日本国内で恐竜の研究をしたい学生を一手に引き受けることになっていた。あくまで、ぼくが科博に出入りした際の観察と伝聞に基づく証言だが、本当にぼくにはそのように見えていた。

「今なら連携大学院といって、筑波とか東大とか、そういうところで客員教授とかになって、学生さんが来るみたいな感じになるんですけど、当時はそういう制度がなかったので、例えば本人が直接相談しに来たとか、その学生さんの所属先の先生に面倒を見るように頼まれたとか、様々なルートで学生さんたちが集まってきました。それで、僕がやったのは、月曜日は科博の休館日なので、その日に展示室で僕がこういう作業をするから、その間に自由に標本見ていいよってことなんです。そこから始まりましたね」

 月曜日の休館日は、研究の日。恐竜の常設展の各標本には学生さんたちがはりついて、それぞれの関心を深めていった。

 ぼくは小説の取材で、その月曜日にご一緒させていただいたことがある。