この時点で、日本の各地で細々とした恐竜の化石が見つかっており、長谷川教授はそれらの化石にアクセスできる立場にあった。長谷川教授と画家の薮内正幸氏が組んだ『日本の恐竜』という絵本も1988年に出ており、『日本にも恐竜がいた』という認識が社会的にも芽生え始めていた時期だ。だれかがきちんと研究しなければならないわけだが、日本にはまだ本格的に恐竜学を学んだ研究者がいなかったこともあり(国内に恐竜の骨がほとんどなかったのだから当然だ)、長谷川教授はこれから学位をとる学生に白羽の矢を立てたということなのだろうと想像する。そして、ハブで爬虫類修業を積ませた上で本場米国に旅立たせた、と。

 真鍋さんがイエール大学で所属したのは、まさに当時の恐竜研究の中心地ともいえる、ジョン・オストロム教授の研究室だった。オストロム教授は、1964年に発見した小型肉食恐竜デイノニクスの研究をきっかけに、恐竜のイメージを抜本的に変えてしまう「恐竜ルネッサンス」を担った一人だ。この言葉自体は別の研究者(ロバート・バッカー)が用いたものだが、一部の恐竜が恒温動物で、今の哺乳類同様、活発に動き、高度な社会性を持っていたという新たな恐竜像を明らかするのに大いに力があった。つまり、『ジュラシック・パーク』に描かれるような恐竜像の提唱者だと言っていい。

「実は、オストロム教授が研究したデイノニクスの模式標本が『恐竜博2019』に来ます。レプリカの全身骨格は常設展にもあるんですが、1969年にデイノニクスの記載論文が出てちょうど50年なんです。ですから、その恐竜研究史を振り返るコーナーができます」

「恐竜博2019」にやってくるデイノニクスの足の第2趾(ホロタイプ(正模式)標本)。 イェール・ピーボディ自然史博物館所蔵
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 デイノニクスは「恐ろしいカギツメ」という名前からわかるとおり、ハンターである。そのカギツメを有効に使うにはジャンプする必要があったのではないかなどとされて、復元画も実に活き活きしたものが多い。肉食恐竜としては小型の類(つまり、『ジュラシック・パーク』にでてくる「ラプトル」を思い出してほしい)で、群れで狩りをしただろうとも言われている。模式標本、つまり「本物」が日本に来るということで、恐竜ファンの注目度はとても高い。

常設展示にもあるデイノニクスの全身骨格で生態を説明する真鍋さん。
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 さて、真鍋さんはオストロム教授のもとで、日本の恐竜の研究をして修士論文とした。これで、「日本の恐竜」は、世界の恐竜学に接続されたというような歴史的な意味合いがあるようにぼくには思える。

「当時、すでに発見されていたものは、『モシリュウ』(岩手県 竜脚類)、『シマリュウ』(石川県 イグアノドン類)、『ミフネリュウ』(熊本県 獣脚類)、『カガリュウ』(石川県 獣脚類)をはじめ、断片的なものが、標本の数としては20、30あったんですね。すでに長谷川先生が『ここまでは言えるんじゃないか』と分類していたのに対し、僕はイエール大学であらためてほかの標本と照らし合わせて見ていきました。オストロム先生としては、恐竜のそれぞれの系統ごとに特徴の現れる体の部位が異なるわけですが、その背景には何があるのかという観点から、日本やアジアの標本にも関心を持っていらっしゃいました」

国立科学博物館特別展「恐竜博2019」開催

2019年7月13日(土)から10月14日(月・祝)まで、東京上野の国立科学博物館で「恐竜博2019」が開催されます。開館時間、休館日ほか、詳細は公式ホームページをご覧ください。

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