新型コロナ「接触通知アプリ」はどれほど有効なのか

「具合が悪かったら外出しない」世の中に

 以上、中澤さんが医学部の学生に対してまとめた資料をもとに考察してきた。

 だから、最後の最後は、学生たちに向けた「安全な学生生活のために」の項目から、学生ではない人にも関係する、いわば「安全な市民生活のために」必要なことを抜き出してみよう。いまや、当たり前のことも多いと思われるが、これだけの疫学的な論考を重ねた上で、あらためて見るのは、再確認のためにもよいだろう。これは「新しい生活様式」を創っていく上でもベースになるものだ。

「そもそも、この話のきっかけになったのは、行動変容をずっと続けなくちゃいけない、なぜその行動変容が必要かという話を学生向けにするためにつくったスライドです。例えば、マスクをしなくちゃいけない理由は、つばを飛び散らさないためなんで、しゃべるときは常にマスクをしなきゃいけません。マスクがなかったらバンダナでもいいですよっていう話を学生にはします」

 当初、マスクの有効性については様々な議論が出て、混乱した感があるが、さすがに今では「マスクはするものだ」というコンセンサスができているように思う。その背景には、たしかに、いわゆる「マイクロ飛沫」や「3つの密」の条件など新たに分かってきたことの積み重ねから、リアリティが増したこともあるだろう。

「今、お話している時点では、基本的に外出しないということになっていますが、それほど感染者が増えている状態じゃなくても、具合が悪かったら外出しないというのを社会のコンセンサスにしてかなきゃいけません。これはすごく大事です。そして、自分が感染するのを防御するためには、まず接触や飛沫によるランダムな感染を防ぐために、手洗いと、他人との距離を置くのと、対面で会話しないことですね。そして、クラスター感染(集団感染)を防ぐために『3密』を避ける」

 それぞれ、本当に「当たり前」のことだけれど、今まで議論してきたことを踏まえれば、その当たり前がさらに自明に感じられる。そういう感覚的な自明さは、行動に繋がりやすいようにも思う。

「あと、学生たちに強く言っているのは、感染した人を差別してはいけないということです。例えば、感染すると差別されるような環境では、接触調査のための聞き取りも難しくなります。これは本当に大切なことで、学生には口を酸っぱくして言います。でも、大学生が感染したりすると、大学に文句を言ったり、その大学の学生は出入り禁止みたいことを言う人が出てきたり、難しい問題です」

 差別というのは、この場合、感染症が怖いから起きるのだろうが、その差別がまた感染制御を困難にしてさらに怖くするかもしれないフィードバックをもたらしてしまう。本当に嫌らしい構造になっている。

 また、感染症については、今、差別している人も、本当に容易に差別される側になることも想像してほしい、とも思う。これは自分自身が感染する、感染しないにかかわらずそうだ。たとえば、春節の頃に来日した中国からの観光客に対して差別的な言動をした人たちをネットでは多く見かけたけれど、今、中国から日本を見たら感染がまだ収まっていない危険きわまりない国だろう。欧米各国では、アジア人に対する差別的な言動が報告される一方で、フランスやイタリアのようなシビアな感染拡大が起きた国の人たちは、比較的制御に成功している国の人たちから危険視されて、差別されがちだという報道も見る。さらにひどいことに、自分たちを助けてくれるヒーローであるはずの医療従事者を攻撃するなど、何を考えているんだというような話も聞く。

 感染者への差別は、単純にそれ自体、おかしなことだが、様々なレベルで感染対策を滞らせるひどい効果も持っている。誰もが感染の制御をしたい時に、むしろ、事態を悪い方向に押しやってしまうことすらありうる。そのような差別と、感染の拡大を止めるために必要な防疫とどう違うのか、それぞれが考えを深めておくべきだろう。

 以上、とりあえずはこれにていったん稿を終える。

 今後も、新たな動きがあった時には、中澤さんと一緒にこの場で議論できればと思っている。

つづく

2020.05.22

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中澤港(なかざわ みなと)

1964年、東京都生まれ。神戸大学大学院保健学研究科パブリックヘルス領域/国際保健学分野教授。神戸大学大学院国際協力研究科教授を兼務。博士(保健学)。専門分野は公衆衛生学、国際保健学、人類生態学、人口学。1988年、東京大学医学部保健学科を卒業後、同大学院医学系研究科保健学専攻に進み、1992年に博士課程を中退して同人類生態学助手に就任。在任中に論文博士を取得し、山口県立大学看護学部助教授、群馬大学大学院医学系研究科助教授などを経て、2012年より神戸大学大学院保健学研究科教授を務める。『人間の生態学』(朝倉書店)『わかる公衆衛生学・たのしい公衆衛生学』(弘文堂)などの共著では感染症の章を担当した。日誌的なメモ「鐵人三國誌」やツイッターアカウント@MinatoNakazawaでもCOVID-19を読み解くヒントを発信している。

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1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、肺炎を起こす謎の感染症に立ち向かうフィールド疫学者の活躍を描いた『エピデミック』(BOOK☆WALKER)、夏休みに少年たちが川を舞台に冒険を繰り広げる『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、「マイクロプラスチック汚染」「雲の科学」「サメの生態」などの研究室訪問を加筆修正した『科学の最前線を切りひらく!』(ちくまプリマー新書)
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。