「BCG仮説」の現在地

 もう一つだけ、よく研究以前のレベルで話題になる推測について。

 感染症が流行すると、地域差に気づくことがある。たとえば、欧州に感染が拡大した後で、感染者、重症者、死亡者が増えている国と、それほどでもない国に大きな差が出た。その差が何に起因するのか、誰もが気になるところだ。もちろん、対策や医療の違いが大きいのは間違いないのだが、それ以外にも何か気づかれていない大きな要因があるのではないかといろんなことを考える人がいる。

 COVID-19での典型例が、「BCG仮説」だ。重症者や死亡者が少ない国は、結核ワクチンであるBCGの予防接種を行っており、BCGワクチンの「オフターゲット効果」、つまり「ターゲット」(結核)を防ぐだけでなく、ほかの呼吸器感染症をも防ぐ効果の恩恵を受けたのではないか、というのが骨子だ。すでに様々なメディアで取り上げられており、専門家の中にも一定のリアリティを感じている人がいるようだ。

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 ただ、ここで留意しなければならないのは、こういった発想は、「地域相関研究」というタイプの研究デザインに相当するもので、きちんとしたデータを揃えて分析し、研究として完遂したとしても、因果関係を議論できるものにはならないということだ。因果関係を議論するためには、最低限、症例対照研究、望ましくはランダム化比較試験(RCT)が必要だ。そして、実際にオーストラリアやオーストリアでは医療従事者が被験者となる形でRCTを始めたとの報があった。こういった研究がある程度まとまって結論が出るまでは、BCGの効果についてのエビデンスは十分ではない。それどころか、地域相関研究としてもきちんと論証できていないなら、「思いつきレベル」から抜け出していない。

 日本ワクチン学会も4月3日に「BCGワクチンの効果に関する見解(PDF)」を出し、「現時点では否定も肯定も、もちろん推奨もされない」と注意を呼びかけた。過度な期待は禁物だし、そもそも乳児の定期接種のために準備されているBCGワクチンを別の目的のために流用するのは、安定供給のためにも問題があるという。

2020.05.15

中澤港(なかざわ みなと)

1964年、東京都生まれ。神戸大学大学院保健学研究科パブリックヘルス領域/国際保健学分野教授。神戸大学大学院国際協力研究科教授を兼務。博士(保健学)。専門分野は公衆衛生学、国際保健学、人類生態学、人口学。1988年、東京大学医学部保健学科を卒業後、同大学院医学系研究科保健学専攻に進み、1992年に博士課程を中退して同人類生態学助手に就任。在任中に論文博士を取得し、山口県立大学看護学部助教授、群馬大学大学院医学系研究科助教授などを経て、2012年より神戸大学大学院保健学研究科教授を務める。『人間の生態学』(朝倉書店)『わかる公衆衛生学・たのしい公衆衛生学』(弘文堂)などの共著では感染症の章を担当した。日誌的なメモ「鐵人三國誌」やツイッターアカウント@MinatoNakazawaでもCOVID-19を読み解くヒントを発信している。

川端裕人(かわばた ひろと)

1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、肺炎を起こす謎の感染症に立ち向かうフィールド疫学者の活躍を描いた『エピデミック』(BOOK☆WALKER)、夏休みに少年たちが川を舞台に冒険を繰り広げる『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、「マイクロプラスチック汚染」「雲の科学」「サメの生態」などの研究室訪問を加筆修正した『科学の最前線を切りひらく!』(ちくまプリマー新書)
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。

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