第4回 自閉症の特性はみんなにあると示した画期的な研究
この手の調査は、金銭的な負担が大きいだけでなく、ひたすら手間をかける必要があり、神経をすり減らすものなので、行う研究者がなかなかいない。神尾さんは国立の研究機関としての立場からその正当性を訴え、なんとか成し遂げた。トータルで日本の小中学生2万3千人を対象にして、発達障害の有無にかかわらず、SRSという自閉症尺度の検査を行った。
結果、おそろしいほどきれいに連続的な分布が得られた。定型発達する人たちの中にも分布がある中で、その片方の裾野がひたすら長く連続しており、まさにスペクトラムである。このうち裾野にいるスコア上位者の2.5パーセントくらいは、診断がつく自閉症スペクトラム症かもしれないが(もちろんこれはあくまで一つの尺度にすぎないのでこれだけで決まるわけではない)、それよりも印象的なのは、「定型」の中にも分布があり、その一部は、ほとんど「非定型」に近いスコアの人もいることを、説得力のある図像とともに示していることだ。かつて言われていたような「正常と異常」「健常と障害」というくくりで語られるものではないことは明らかだ。
こういうことは、臨床医たちも研究者たちも薄々気づいていたし、それは世界各国でも同様だった。だから、2013年に改訂されたアメリカのDSM-5で、自閉スペクトラム症の概念が提案されたわけで、臨床医の側も大枠ではすんなりと受け入れることになったのだった。
もちろんかつて一部の臨床医たちが、「正常な人までスペクトラムに入れるんですか」「過剰診断につながるんじゃないんですか」などと言ったことにも、正当な理由がある。20世紀、自閉症の診断を受けること自体が強烈にネガティブなスティグマ(烙印)として機能した時代があり、その頃を知っている臨床医ほど、最初、受け入れ難いと感じたのではないだろうか。しかし、結果的に、「正常と異常」が本質的なものとして決定されているわけではなく、あくまで連続的なもののどこかを切るのが診断なのだと明らかになることで、スティグマの絶対性は弱まったかもしれない。また、今、自閉スペクトラム症をはじめとする発達障害の本を読んだ人のかなり割合が、診断はつかないにしても、自分の中に共通する特徴を感じてやまないのも、こういった「スペクトラムとしての自閉症」という症候観にそぐうものだ。
「ただ、この曲線は、あくまである評価の仕方に基づいたものだと理解してください。実際のところ、自閉スペクトラム症には、もっと様々な要素が絡みます。つまりスペクトラムは1次元ではなくて、多次元で、おまけに時間変化するんです。これがあまりにも複雑で、最近の海外の研究チームでは、何万人レベルで追いかける研究の統計的な扱いのために宇宙物理学者を招き入れているところもあるくらいです」