第4回 世界の沈没船の発掘現場を次々とめぐって気づいたこと
「1人じゃなくて同じ趣味を持つ友達と、一つ屋根の下で共同生活をしながら調査をできるので、これも私の感覚的には文化祭に近いのかなと(笑) それぞれの国の方からしたら、1年に1回の大きなイベントで、みんな楽しみで来てるんです。私はもう文化祭を渡り歩いているような感じです。こういうふうにいろんな国で発掘をする水中考古学者は珍しく、今は本当に私だけと言ってもいいぐらいです。フォトグラメトリの技術があるので、いろんなところに呼んでもらえて、やっぱり一番うらやましがられるのは、同僚の考古学者たちからですね。いろんな現場に行けていいね、っていうふうに」
超人的ともいえるスケジュールで世界の沈没船を見てきたからこそ得られる、考古学観、歴史観のようなものも、山舩さんの中で熟してきているようだ。最初は、海への憧れや「船が格好いい」からこの世界に入った若者も、やがて「なぜこの仕事をするのか」を問うようになる。
「私は考古学者ですから、歴史学や考古学がどんな役に立てるのか考えます。歴史は、かつて書かれていたいわば『日記』のようなものです。一方、考古学はかつての『写真』のようなものだと思うんですね。昔のことは忘れてしまうものだから、『日記』や『写真』が残されている時に、それらを理解することで、未来の選択肢を豊かにするのが、歴史学や考古学だと思っています。ただ、いろんな国で働かせてもらって気づいたのですが、それでも歴史学や考古学は、お金持ちの国の道楽なんです。明日食べるものがあるか分からない国では、歴史学も考古学もないんですね。私も、そこまで豊かではない国の水中の発掘のお手伝いとかもさせていただいてそう感じます」
歴史学は文献を重視するので、書かれたものとしていわば「日記」で、考古学はある時の生活などの痕跡をモノから見ていくので、その瞬間のスナップショット、「写真」である。「歴史に学ぶ」ことの大切さは間違いないことのように思えるが、山舩さんが必ずしも豊かではない国も含めて発掘にかかわりつつ感じたのは、お金がある国でしか歴史学や考古学はしっかりと取り組まれないということだった。
「私が急にその国を豊かにできるわけもないんですが、考古学者として思うのは、この後、100年後、200年後、豊かな国になった時に、遺跡、文化遺産がなくなっていたら、彼らは自分たちの歴史を勉強することができないと。でも将来的には、彼らが彼ら自身の手で行っていくものです。それで、私は、今、フォトグラメトリという技術を使いながら、研究と同時に遺跡の保護もやっていて、文化遺産を将来のために守るのをとても重要な意義と感じて活動するようになりました。最初は本当に興味本位でやっていたんですけど、2014年、15年あたりからいろんな国で働かせてもらうようになって、遺跡の研究だけでなく保護まで含めて、使命というのではないですけど、近いものを感じています」
山舩さんは「使命というのではないですけど」と、少し引いた表現を取った。考古学者は過去の「写真」、スナップショトを記録しつつ、今に伝える役割なのだから、そこは「使命」と言っても過言ではないはずだ。しかし、世界の沈没船をめぐるうちに芽生えた、ちょっと別のニュアンスがあるようだ。