第4回 世界の沈没船の発掘現場を次々とめぐって気づいたこと
山舩晃太郎さんは、2010年代後半を、まさに「7つの海」の沈没船遺跡を次から次へと転戦し、研究の進展に貢献してきた。新型コロナ感染症のパンデミックで中断されるまで、1年のうちの10カ月間ほどを海外で過ごしており、日本にいる2カ月間も、九州での共同研究や、東京での講義など、常に旅の中にあった。
山舩さんは、この時期に世界で一番、多くの沈没船の発掘現場の場数を踏んで経験を増した水中考古学者だと断言できる。沈没船の考古学者が一生のうちに関わる沈没船は、多くてもせいぜい10~20隻だという。しかし、フォトグラメトリの技術と、多くの沈没船を見てきた目の確かさを見込まれ、依頼を受けて各地を飛び回る山舩さんのペースだと、2年間で他の人の一生分の現場を踏むことになるのである。
そういった経験を通じて、山舩さんの中には、様々な思いが蓄積しているはずだ。それはどんなものだろうか。
山舩さんは自らの経験を総括して、まずは「おもしろいんですよ」と強調した。
「何がおもしろいかっていうと、やっぱり謎解きというか、推理なんですよ。考古学の現場に行かない方は間違って想像しがちなんですけど、ディズニーの映画のようにジャングルを踏み分けていったら神殿があったり、水に潜ったら沈没船があったりするわけじゃないんですね。そういうものは、最初埋まっているんです。なので、最初に見つかるのはこんもりした丘です。それを丁寧に発掘していくと、徐々に神殿や沈没船が出てきます。私たちが水中で見つけるのは、最初は木の一切れとか、壷が1つとかなんですね。そういったものを見て、この形状からここにこういったものがあるだろうというのを予想しながら掘っていきます。この船だったらこういうものがここから出てくるはずだとか、こういった積み荷が出てきたらおもしろいなというふうに、常に仲間と話し合って、発掘を進めるうちに答え合わせができるのは、本当に楽しいことです」
こういった発掘は、たいていそれぞれの地域で期間限定で行われていて、その間、研究者たちは、合宿形式で寝食をともにすることが多い。山舩さんはこういう状況を「文化祭のようだ」と表現した。