「前者2つは古英語と北欧語文献に記録があり、北欧神話の中にも出てくるものです。エルフはアールヴル、ドワーフはドウェルグルという語として登場し、トロールはまさに北欧語でトロールというんです。その中で一番歴史が古いのは、おそらくエルフです。エルフはもともと神霊、神様のような霊的な存在であったと考えています。イングランド人もそれを知っていて、一般的な文献には残っていないものの、英雄叙事詩『ベーオウルフ』には出てきますし、9世紀の伝説的なイングランドの王、アルフレッド大王の名前の中の『アルフ』は、実は古英語の時代にはエルフを意味していたんです。それに次いで、ドワーフの歴史が古く、私の解釈では先住民族であったのではないかと思います。技術力の高い存在が2つあって、1つが先に述べたエントで、もう1つがドワーフでした」

 結局、修士課程に進む時に伊藤さんが覚悟したとおり、トールキンが登ろうとした古英語研究と神話の再創造へ至る研究の山々は高く険しい。後を追うものは、それらをひとつひとつ登っていかなくてはならない。伊藤さんは北欧諸語の中でも、最も古い特徴を残しており、また、一番難しいとも言われているアイスランド語を学ぼうと決意する。

「1991年から92年にかけてアイスランド政府から奨学金をいただき、アイスランドに留学をいたしました。もう、そのときには一も二もなく、アイスランド語で夢を見るぐらいまでアイスランドという国、言語、文化、それから人々と1つになろうとしていました。それは、1つにはやっぱりアイスランド語で書かれたものを自分のものとして理解したいという思いがあったからですね。実は、今のアイスランドの言語の文法は、約1000年前の英語の文法とほぼ変わらないんです。だから、もしもアイスランド語の文法をもってアイスランド語でものを考えられるようになったらば、1000年前の英語を話す人たちの思考、感情、考え方というものがよりはっきりと自分のものとして理解できるのではないかという意図がありました」

 習得困難言語として知られるアイスランド語を1年間の留学で学ぶというのは、かなり大変だったのではないかと思うのだが、伊藤さんは当初の目論見通りの成果を挙げることができた。ただし、大きな副作用もあった。

アイスランド語を1年間の留学で学ぶというのは大変だったに違いない。
アイスランド語を1年間の留学で学ぶというのは大変だったに違いない。

「えーと、英語を忘れました(笑)。日本に帰ってきたら英語がアイスランドなまりになりまして、アイスランドの文法に影響を受けた英語しかしゃべれなくなり、恩師から大目玉をくらいました。君は何のためにアイスランドに行ったんだ、英語を忘れるためかと、本当に怒られましたね。そこまで浸ることができたのは、現地の方の協力が大きかったんです。アイスランド人と結婚して住んでいる日本人の方に誘われて教会の合唱隊に入り、合唱隊メンバーの皆さんには英語で話しかけない協力をいただきました。必要こそ言語学習には本当に必要なものなので。結果、得るものが大きかったと思っています。例えば、中世のドイツ語で書かれたものを読んでいると、ドイツ語と北欧語はだいぶ違うのですが、それでも同じゲルマン語として共通する表現もあって、感動するわけです」

 アマチュアである我々にしてみると、中世ドイツ語とアイスランド語に相通じるものがあるというのは意外だと感じられるが、しかし、ゲルマン祖語を話していた人たちの末裔だからこそ言語や神話の根っこがつながっている。

 それは、当然ながらイングランドも同様だ。トールキンがイングランドの神話のヒントを北欧に求めたことは決して突飛ではないとここまで読んだ方はある程度納得していただけるだろう。

「さらに架け橋になるものをお見せします」と、伊藤さんはテーブルの上にあった写真集のようなものを開いた。

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