第2回 あの「エルフ語」はなぜ、どのようにつくられたのか

「ゲルマン祖語から、印欧祖語へとさかのぼっていく時に、ペルシャ語も、サンスクリット語も、結局は神話を読むことになります。ペルシャ語は、いわゆるチグリス・ユーフラテスにさかのぼるメソポタミアの神話、サンスクリット語はもちろんインドの神話です。だから、19世紀から20世紀初頭にかけて言語学者が神話を研究したのは、非常に当たり前のことだったんです。そして、トールキン先生もそういう方だったんです」

なるほど、トールキンにとって神話と言語はワンセットだったのだ。
なるほど、トールキンにとって神話と言語はワンセットだったのだ。
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 なるほど、と膝を打った。トールキンが神話を創造しつつ、言語も創造したというのは、ごく自然な「世界創造のワンセット」だったのである。

 言語創造といっても、単に意思疎通に使える記号を体系立てて作りました、ということではない。むしろ、その言語を話し、喜怒哀楽を表現し、意志を伝え合う話者たちを想定した上で、神話の時代から歴史のうねりの中で、言語が変化しながら伝播していくことまでを含めた世界創造に等しいものだった。ぼくの脳裏には、辞書のようにも見える『エルフ語入門』の向こう側に、「中つ国」でその言葉を口にしたすべての話者たちの姿がうわっと立ち上がるように感じられた。

 ぼくが抱いた雑駁な感想に対して、伊藤さんはこんなふうに語った。

「学士の論文でも書いたことなんですけれど、人間が何か音を、音声を発するのは、やはり感情が動いたときだと思うのです。その感情の発露として出た音声に意味が当然入っているわけですね。では、その意味は、どこから生まれたのかというと、実は音声を発した人の感じた世界観の中で1つのエピソードの意味がそこに付与されたと考えます。つまり、その言葉を発したときに、その言葉の中に発した人間の頭の中にある世界観、宇宙観が込められている。それこそがまたトールキン先生もたどろうとしたものではないかと思うんです」

 日本にも言霊という概念があるが、それに通じるものがある。発した言葉に、もしも世界観、宇宙観が込められているのなら、言語の創造は、その言葉の背後にある世界観、宇宙観、つまり神話とセットになるのがやはり自然なのだ。

 しかし、と思う。

 なぜ、トールキンは、こんなふうに徹底した創造を行いたかったのだろう。ちょっと度が過ぎるのではないか。

「それは、良い質問で、つまり、イングランド人には、実は神話がないんです」と伊藤さんは即座に応えた。

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