第1回 バイキングと北欧神話とトールキンの「異世界」へようこそ

伊藤さんの今の専門は中世英語および北欧語の文献学だ。
伊藤さんの今の専門は中世英語および北欧語の文献学だ。
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「読み始めたのは小学6年生の頃で、『赤毛のアン』を男の子が読むのは恥ずかしいんです。それを人に悟らせないために、近所に住んでいたフィリピンからの帰国子女の女の子にもらった英語版で、これなら誰にも分からないだろうと、辞書を引かずに読んでいました。小学校6年生ではまだ英語も習ってませんから、自分の頭の中にある村岡花子先生の翻訳を流しながら、英語をただ読む。そうすると何かすごく読んだ気になっていくわけなんですね」

 なにかものすごい小学6年生だが、たしかに日本語でさんざん読んで内容があらかた頭に入っている本を原語で読むと、なんとなく読める気分になるというのは理解できる。そしてそこから伊藤さんは、後の研究につながる示唆を得たという。

「シリーズ第7巻の『炉辺荘のアン』を最初に読んだ時、村岡花子先生の訳で片仮名で『トランサブスタンシエイショナリスト』っていう言葉が出てきました。アンの息子ジェムが、とにかく辞書の中で『むずかしい長い言葉(great big full words)』が好きな兄のウォルターが見つけた、まるで呪文のような言葉だって書いてあって。でも、意味などの解説はないんです。それをどういう意味か知ろうと思ったら原書で読むしかないと結局7巻まで英語でたどり着いて、そこまで行くと英語で読むのがすごく好きになっていました」

「トランサブスタンシエイショナリスト」は、ぼくも「おやっ」と思ったところだった。
「トランサブスタンシエイショナリスト」は、ぼくも「おやっ」と思ったところだった。
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 その「トランサブスタンシエイショナリスト」(transsubstantiationalist)は、「アン」の物語を読み進めた多くの人が「おやっ」と思うところだろう。ぼくも同様で、意味を調べたところ、カトリックのミサにおける秘跡についての宗教的な解釈を示す言葉だと知った。しかし、ここで大切なのは、その意味を知る以前に作中のジェムや年若き伊藤さんを惹きつけてやまなかったことだ。言葉というのは、意味が分からないのに、呪文のように心を捉えてしまうことがある。意味の分からない、音としての言葉にとられわる体験は伊藤さんにとって後々大きな意味を持つ。

「大学では文学部に入って、最初は哲学科を考えていたんですが、大学一年生の時の授業ではそれほど面白いと感じず、ではどうしようかと迷っていました。そんな時、『赤毛のアン』や高校生の時に好きだったエドマンド・スペンサー『妖精の女王』なども勉強できる研究室があるぞと教えてもらって、その高宮利行先生のところに行くことにしたんです。アーサー王の研究者であり、書物学をも専門となさる先生の研究室にはもう山ほど本がありまして、そのうちの1つがそこにあるトールキン先生の『シルマリルの物語』でした」

 伊藤さんはテーブルの上にある大判の本『The Silmarillion(シルマリルの物語)』を指差した。この対話で話題になりそうな様々な書籍などをあらかじめ準備してくれており、その数十冊のうちのひとつだった。

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