第9回 「食」にまつわる健康情報との付き合い方は?

 念のために注釈すると、査読とは、本来、論文の質を保証するためのものだ。今の科学は研究者同士の相互評価で成り立っている部分が大きい。各論文誌は、論文の投稿を受けると、その分野に詳しく、また著者と直接の利害関係がない別の研究者に内容のチェックを依頼する。査読を依頼された研究者はボランティアで論文を読み、問題がある部分を指摘したり、改善の方法を示唆したりする。今村さんは、かなりたくさん査読を引き受けてきており、四大医学誌のひとつであるブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)のベストレビュワー賞(2015年)など、個々の論文誌が選ぶ「査読賞」のようなものをいくつも受けてきた。栄養疫学だけではなく他の疫学分野での査読も多く、それはおそらく疫学理論や方法論に強いとの定評があるからだろう。

 そんな今村さんが、「間違った論文がそのまま掲載される」と嘆いている。

 これは本当にいかんともしがたい。

 非専門家でもある程度勉強することで「自称専門家」のもっともらしい話の真偽を嗅ぎ分けることはできるかもしれないが、論文誌に掲載される論文の良し悪しを判断しろというのはさすがに酷だ。

「ですので、メタアナリシスだからエビデンスレベルが高いという話はもう古くて、メタアナリシスもツールの一つでしかないと考えるのが適切です。以前からその誤解は指摘されていましたが、栄養学の世界でもメタアナリシスが氾濫するようになってようやく認知されてきたという感じです」

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 本当に、「似非ではない専門家」による解説が大切になってくる。今回の対話の中では、今村さんの判断を信頼しているけれど、今村さんが常に助言をくれるわけでも、よい判断ができるわけではない。日本の食についての助言となると、地域ごとの社会的背景を鑑みたものが望ましいが、今村さんはそこには通暁していないため限定的なものとなる。

 本当にいったいどんな方法がありえるだろう。

「これが解決になるか分かりませんが──」と今村さんは切り出した。