ビタミンAが不足して夜盲症を患ったり、子どもが麻しんなどの感染症にかかりやすくなる問題は、発展途上国では今でも解決すべき課題だ。なんらかの形でビタミンAを摂取してもらう必要があることははっきりしているため、それに沿った戦略が立てられている。その知見をもたらした介入研究に至るまでの一連の成果は、研究者として美しさと力強さを兼ね備えた疫学研究のお手本のように見えるものらしい。関心があって読み解いてみたい人は、ご自分で探求してみるといいかもしれない。

 一方で、日本の「ビタミンB1と脚気」のエピソードは、まだビタミンB1という栄養素が認識されていなかった時代に、海軍では麦飯を糧食として導入することで脚気の予防に成功したという話だ。日露戦争において、陸軍が25万人もの脚気罹患者を出した一方で、海軍は罹患をほぼ封じ込めた。主導した海軍軍医総監の高木兼寛自身は、脚気の原因を「窒素成分の不足」と考えていたようだが、それもまた印象深い。本質的な栄養素が特定されずとも、介入可能な食事の改善によって予防に成功した事例が、「日本の初期の疫学研究」としてよく言及されること自体、実用科学である疫学の性質を物語っている。

 それでは、今村さんが実際に手を動かして行った研究を見ていこう。まずはコホート研究と呼ばれるタイプのものから。数千人から数十万人ほどの社会集団を10年、20年と長期間追跡し、観察し続けることで、生活習慣などと疾病の関係を見出す手法だ。

「馴染みのある食材ということで、アブラナから作る菜種油の一種、キャノーラオイルの話をしましょうか。ハーバードのポスドク時代に研究して、ケンブリッジに来る直前に論文になったものです。キャノーラオイルって日本でも普及していますけど、あれは菜種油に多く含まれているエルカ酸という成分が少ない特別な品種から作ったものなんです。エルカ酸は、心臓を傷つける毒性があるのではないかと言われていて、それでキャノーラオイルが開発され、普及しました。でも、本当にエルカ酸が心臓に悪いのか、実は確かめられていなかったんです」

 今村さんの論文などから文献をさかのぼると、次のようなストーリーを描くことができる。エルカ酸の心毒性についてはじめて取りざたされたのは1950年代のことで、動物実験の結果、エルカ酸が心筋を傷つけるのではないかという可能性が示唆された。その後、インドでカラシナ(アブラナ属植物)から作るマスタードの摂取が高い地域の心臓病患者の心筋細胞を調べた研究で、エルカ酸濃度が他の地域より高かったと報告された。そうした知見の蓄積に反応したのが菜種油の生産国だったカナダで、エルカ酸が少ない品種のアブラナを栽培するようになり、エルカ酸の少ないキャノーラオイルが作られたという経緯だ。

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