第3回 宮原ひろ子(宇宙気候学):宇宙からの視点で地球の住み心地を考える(対談編)

関野 3つのバリアは、オーロラを生み出す要素でもありますね。

宮原 そうです。オーロラは「太陽風」が地球にぶつかることで光っています。光っているのは「大気」ですね。そして、オーロラのもとになる電子は、「地磁気」によって北極や南極の上空に降り注いでいる。それで、オーロラが光っているんです。宇宙からみると南極と北極のまわりに2つの緑色のリングが見えます。緑色というのは、酸素があるからこその色でもありますね。知的な生命が住める条件をそろえているかどうかが、オーロラからもわかります。

関野 酸素というのも、とても大事な要素ですね。大昔にシアノバクテリアが酸素を大量に生み出した。でも、多すぎてもダメなんです。病院で夜勤をしていると過呼吸で具合が悪くなって運ばれてくる人が結構いたりする。血中の酸素濃度を測ってみるとものすごく高い。だから、袋を口に当てて、自分が吐いた息をまた吸ってもらう。そうすると、血中濃度が下がって具合がよくなってくるんです。地球では窒素と酸素の割合が4:1で絶妙だなと思います。

宮原 酸素があることで、オゾンというもう1つ大事なバリアも作られていますね。オゾン層というのが成層圏にありますが、これが無いと地上にまで強力な紫外線が届いてしまいます。もし陸上で生きたいと思うのであればオゾン層は必須ですね。

関野 月の影響も大きいなと思っていて、月が無いと、地球の自転がもっと速くなっていたという話がありますよね。そうすると1日がすごく短いから、生命の進化も変わっていただろうと思います。

宮原 今みたいに、通勤に片道1時間なんていう生活はできませんね(笑)。もし自転が速かったとしたら、知的生命体は生まれたんでしょうか。

関野 地球は生命が生きていられる条件をいくつも備えているけれども、そのうえ知的生命が生まれるためには、さらにいくつものコンディションが必要になってきます。本当にかろうじて、複雑な生命が生まれているんだなと感じます。

 火星移住するためには、火星に地球と同じ環境を作る「テラフォーミング」を行わなければいけません。地球のことを学べば学ぶほど、それがいかに困難かがわかってきます。地表面を変えるだけでは解決できないわけです。地球が持ついくつものシールドを構築していかなければならないとなると、不可能に近いですね。

 この様々な要因で守られた奇跡的な地球も宇宙の動きに翻弄されてきたし、これからも翻弄され続けるだろうことが、宮原先生の話を聞いてよりわかりました。

 そして、人間の活動によって起こった生態系や環境の負の側面の中で、自分たちで解決できるものは何か、どのように解決していけばいいかを考え、調査、研究を含めて、自分たちで活動していくことが、火星移住計画よりも大切なことだと確信しました。

(撮影:青木計意子)
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地球永住計画公式サイト
https://sites.google.com/site/chikyueiju/

宮原ひろ子(みやはら ひろこ)

埼玉県生まれ、長崎育ち。名古屋大学大学院理学研究科素粒子宇宙物理学専攻博士課程(後期課程)を修了し博士号(理学)取得。東京大学宇宙線研究所などを経て、現在武蔵野美術大学教養文化・学芸員課程研究室准教授。専門は、宇宙線物理学、太陽物理学、宇宙気候学。太陽活動や宇宙環境の変動が地球に及ぼす影響を研究。第5回地球化学研究協会奨励賞、平成24年度文部科学大臣表彰若手科学者賞を受賞。宇宙気候学について解説した著書『地球の変動はどこまで宇宙で解明できるか -太陽活動から読み解く地球の過去・現在・未来』が第31回 講談社科学出版賞を受賞。

関野 吉晴(せきの よしはる)

1949年東京都墨田区生まれ。武蔵野美術大学教授(文化人類学)。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。その後25年間に32回、通算10年間以上にわたって、アマゾン川源流や中央アンデス、パタゴニア、アタカマ高地、ギアナ高地など、南米への旅を重ねる。その間、現地での医療の必要性を感じて、横浜市大医学部に入学。医師(外科)となって、武蔵野赤十字病院、多摩川総合病院などに勤務。その間も南米通いを続けた。 1993年からは、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3000キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。南米最南端ナバリーノ島をカヤックで出発し、足かけ10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。2004年7月からは「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」をスタート。シベリアを経由して稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「南方ルート」を終え、インドネシア・スラウェシ島から石垣島まで手作りの丸木舟による4700キロの航海「海のルート」は2011年6月13日にゴールした。1999年、植村直己冒険賞受賞。