二重生活のすすめ

山極 ここからちょっと未来の話になるんですけど、今の世界は「フラット」になっちゃったと思うんですね。いろんな原因があります。たとえば狩猟採集民の世界では土地に値段がついていない。利用するのが当たり前だから。

関野 土地は自分のものじゃない。共有地であり、見えない大いなるものが支配している。

山極 それが、農耕牧畜が始まると土地のいい悪いが出てきて、土地をめぐって争うようになった。力の強い者がいい土地を多く持つようになって都市が形成され、支配・被支配がでてくる。都市に住むわれわれは値段のついた土地に住み、住んでいる土地が自分の値段になってしまう。それが、怖い。着ているものや持っているもので「あの人セレブね」とか「高級レストランに行く人ね」と価値をつけられてしまう。それが「フラット」とぼくが言っている現象なんです。つまり一元的な価値観で人の重要性が取り引きされてしまっている。それでほんとにいいのか。価値は自分で決められるもの、あるいは決めなくてもいいものでしょう。

(撮影:青木計意子)
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 この問題を解消するには、もっと移動性を高めたらいいと思うんです。会社に勤めているからここに住まなくてはならないという必然性はないはずです。たとえば、生活拠点を2つ持つ。北海道とか、福島県とか、鹿児島県とかにもうひとつの生活拠点を持って、自分の価値を分散する。東京ではある一定の生活しかできません。逆も真なりです。でも、複数の人生を並行的に進めることによって、すごく膨らんだ価値観というものを体験することができるんじゃないか。

 私はアフリカに40年間ぐらい通い続けてきています。関野さんもそうですよね。日本では武蔵野美術大学の教授でグレートジャーニーをやっている探検家という価値がつけられているけど、アマゾンに行ったら「なんかよくわからんけど、遠くの多摩川から来た人」として暮らしているわけです。ぼくも向こうにいると「ゴリラみたいなわけのわからん動物を追っかけているちょっと変わった人」として暮らしてきましたから、向こうに行けばストーンと向こうの自分に戻れます。こっちではこっちの自分に戻れる。価値が固定していないのがすごく楽なんです。

関野 そうですね。アマゾンに行ったら、閣僚でも、大企業の社長、一流の研究者でも、ただの人ですからね。狩りや魚とりの腕前、あるいは皆と協力してやっていけるか、自分の役割があるかで評価される。「俺は日本の大臣なんだぞ」と威張っても「それで?」と一蹴されてしまう。日本での肩書など、気持ちいいほど一切通用しない。

 しかし、肩書とは無関係に、食事も居場所も村人と分け隔てなく与えてくれます。こっちと行き来していると、違う自分が二人いて面白いですね。
 
 私は人間には風の人と土の人がいると考えています。例えばアンデスでは、農繁期に高地にいる牧畜民がリャマを連れて農民のところに降りてきます。畑から家に農作物を運ぶのを手伝うのです。ジャガイモを10袋運ぶと1袋を報酬としてもらえます。

 その後牧畜民は海岸部まで降りていき、海藻、魚の干物、織物などを手に入れ、農産物の市場での価格など町の情報を手に入れて、農民のところに戻り、情報を提供し、海藻などと農産物を物々交換します。

 こうして牧畜民と農民が補完し合っているのですが、農民は大地に根を張って動かない土の人ですから、動かないだけに空気がよどんできます。そこに風の人である牧畜民が現れて、よどんだ空気を一掃してくれます。

 風の人と土の人がいて「風土」を作っているのですね。極北の海岸部の狩猟民と内陸部のトナカイ遊牧民。ヒマラヤの高地のチベット系遊牧民と低地のヒンドゥー教徒の農民など、多くのところで補完し合って風土を作っています。

 私は東京にいるときは土の人、日本の地方や海外の辺境に行くときは風の人となり、二人の自分を楽しんでいます。

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