想像力を働かせて今を楽しむ狩猟採集生活

関野吉晴氏(撮影:青木計意子)
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関野 アマゾンではアリの群れがそこらじゅうにいて、踏んだりすると足をワーッと上ってきて噛むんですね。1日3~4回はハチに刺されます。ヘビもいるし、何が起こるかわからないけど、ある程度森から読み取れることもあります。たとえば、ちょっとへこみがあったら「バクが昨日寝たばっかりだ」とわかる。木に登れば自分のいる場所がわかる。だから狩りで歩いている時はほとんど会話しません。自分の知識や知恵を総動員して、次から次へと起こってくる問題を解決するのを楽しむ。狩りは仕事だけど、楽しくてしょうがないからやっているんです。想像力を働かせるのが楽しいし、わくわくする。大きな獲物がとれる時もあるし、獲物なしの日もある。それでも、その日のうちに結果が出ます。

山極 ぼくが知っているアフリカの村のご老人たちは一日中椅子に座っているんだけど、若者たちが森から帰ってくると、必ず老人たちのところへ行くんです。獲物を見せて、どこへ行って何を見たか延々と話をする。その間にスコールが来るし、アリや蚊やアブが来るからパチンパチンやりながら聞いている。

 日々向こうからやってくる出来事を淡々と眺めて、それに参加している老人たちは生き生きしています。時には自分で飯も作るし、自立した生活でありながら仲間たちと寄り合って生きている。楽しさの持続ですよね。そういうことをわれわれは都会で味わえているのだろうかという気がどうしてもしてしまいます。

 数カ月後の収穫を見越して投資をする農業は資本主義とよく似ています。こうした農耕生活がわれわれの意識を相当変えてしまったのかもしれない。けれど、日本人は「農耕採集民」とも言われていて、農耕だけでなく採集もする。山菜やキノコを採るから環境の変化にすごく敏感なところもありますよね。そっちを忘れてはいけないと思います。

食物を運んで一緒に食べることから生まれた信頼関係

山極 ゴリラは未来のことも過去のことも考えません。あるがままの今を受け入れます。ただそれは、いつも一緒にいて同じことをしていないと仲間ではなくなるということです。ところが人間は、離れていても再び仲間として受け入れるという感性をどこかで手に入れました。それは食物を運搬して仲間と一緒に食べることから始まったと思います。

果実トレキュリア・アフリカーナを分配して食べるゴリラ。(画像提供:山極壽一)
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 みなさんは当たり前のように自分が作ったものでないものを店で買ってきて食べていますよね。それはいったいどこに信用があるんですか。マーケット? 生産者? ゴリラやチンパンジーは現場でしか分配しません。それはモノを信用しているのであって、仲間を信用しているのではない。

 ぼくはアフリカで毒に気をつけろと言われました。他人が持ってきたものをうかつに食べたら死ぬかもしれない。コンゴの奥地の小さな部落では、旅人がやって来ると開けっ広げな小屋で老人たちと話をします。食事が振る舞われたら食べなくてはいけない。それはテストです。旅人を信頼できれば毒を入れずに歓待する。運ばれてきた食物を食べるということは、持ってきた人を信頼しているということです。だから食べるということはとても重要で、いまだに人と人とをつなぎ合わせる大きな接着剤だと思うんですね。人間も、信用できる人たちとしか一緒に住まない。それが150人なんですよ。

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