第1回 馬場悠男(人類学):骨から探る人類史~思いやりの心を未来の子孫に向ける(提言編)

 オスの犬歯は退化していて、暴力的に支配することはしません。そういうオスはどうすればメスにもてたのでしょうか。果物を運んで来てメスにあげていると気に入ってもらえて、子孫を残すことができたのではないかという「食物供給仮説」を、この論文の著者の一人であるオーウェン・ラブジョイ教授が提示しました。ぼくはわかりやすく「プレゼント仮説」と呼んでいます。オスにとってみれば自分の子孫を増やしたいという下心があるわけですが、これがひょっとしたら私たちの思いやりにつながる行動のひとつかもしれません。

 180万年前の原人が発見されたジョージアのドマニシ遺跡では、歯の全然ない頭骨化石が見つかりました。普通の動物は歯が半分近くなくなったらまともに食べられないから死ぬしかありません。ところがこういう個体が生きていたということは、周りが老人をケアしていたと考えられます。一番古い介護の例と言えるかもしれません。

脳が大きくなり、二足歩行で自由に歩けるようになった。(画像提供:馬場悠男)
[画像のクリックで拡大表示]

 旧人のネアンデルタール人の遺跡、イラク北部のシャニダール洞窟には、片目がつぶれ、腕も足も不自由な老人が埋葬されていました。つまり、家族や仲間への思いやりが完全にあったことがわかります。

 南アフリカのブロンボス洞窟では、8万年前の芸術や装飾品が発見されました。1cmくらいのピカピカ光る貝で、穴の開いたものが5個とか10個まとまっていました。これは首飾りにしたに違いありません。実用的な価値はなくても、きれいとか素晴らしいと相手が思うのがわかるから身に着けるのです。おしゃれをするのは他人の心が読める、つまり思いやりをもてるということを意味します。

思いやりを発達させたホモ・サピエンスの子育て

 ホモ・サピエンスが成功した秘訣は、長生きできるようになったこと、そして脳が大きくなったことです。生まれる前も、生まれた後の成長期間も長いし、子どもを産む能力がなくなった後もまだ生きます。その理由として「おばあさん仮説」があります。3世代同居して孫の世話をしたり、知識を伝えたりすることでうまく家族が成り立つという考えです。このように家族が協力して暮らすためには思いやりが必要になってきます。

 私たちが脳を大きくするためにしたすごい工夫が「生理的な早産」です。かなり早く産む代わりに、赤ちゃんは生まれると一年間近く、ひたすら脳を大きくするためにミルクを飲んで寝ている。だから子育てが大変なのです。

 人間は生まれて初めは身体が急速に成長して、小学校から中学校ぐらいで成長は横這いになり、思春期になるとスパートします。でも脳は小学校に入るころには大人と大差ないくらい大きくなっているから教育ができるわけです。

 なぜそうなっているかというと、身体が小さければたくさん食べないから経済的によろしい。しかも大人に対して小さいと、可愛いい良い子でいられるので教育がうまくいきます。

 初めはわがまま言っても許されますが、学校へ行くと少し自重しなさいと言われる。でも、夢や目標はしっかり持っていて、現実との間を埋めるのが勉強や努力、つまり知育です。自己主張と現実の間は抑制とか遠慮、つまり徳育で補います。そうすると自己実現がうまくいくし、思いやりの心も発達する。これがホモ・サピエンスの義務教育がなぜ必要かということの生物学的な説明になるかもしれません。

地球永住計画公式サイト
https://sites.google.com/site/chikyueiju/

馬場 悠男(ばば ひさお)

国立科学博物館名誉研究員。元東京大学教授。元日本人類学会会長。1945年東京生まれ。東京大学生物学科卒。獨協医科大学解剖学助教授を経て、88年から国立科学博物館主任研究官。96年から同人類研究部長、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授を兼任。専門は人類の進化と日本人の形成過程。国立科学博物館の特別展に数多く携わる。NHKスペシャル「地球大進化」「病の起源」「人類誕生」など多くの科学番組を企画・監修。『人類の進化大図鑑』『人間性の進化』『人類進化大全』『ホモ・サピエンスはどこから来たか』など編著訳書も多数。