琉球の海を渡るとき、まず問題になるのは距離です。3万年前の地図(今から海面を80m下げたもの)を復元すると、台湾から一番近い与那国島までは最短で約100kmあります。一番遠いのは宮古島から沖縄島で、今は約240kmですが、当時でも約220kmありました。これだけ離れていると、海岸から隣の島が見えません。

3万年前は今より海面が80mぐらい低く、台湾は大陸の一部だった。しかし、琉球列島は陸続きではなかった。(画像提供:海部陽介)
[画像をタップでギャラリー表示]

 さらに問題なのは黒潮です。黒潮というのは世界最大規模の海流の1つなんです。この海域で秒速1~2m。秒速1mは人が歩くスピードです。それが最大幅100kmに渡って流れています。黒潮は3万年前にも間違いなく存在しています。海流は風で駆動されているので、その大気大循環の流れを止めなければなくなりません。

 こんな海を祖先たちはどうやって渡ったんでしょうか。どんな困難にぶつかり、どう乗り越えたのかというのがぼくらの一番知りたいことです。そこまで知ろうと思ったら、机の上の議論をやめて、外に出ないといけないんですね。それで、2016年から実験航海を開始しました。

草舟、竹筏、丸木舟を作って実験してみた

 最大の謎は舟です。素材は地元にあるものを使って、当時の道具で加工できるかやってみました。候補となるのは草、竹、木です。これらそれぞれの舟を試してみて、どれが使われたかを探りました。

 草は貝殻などで簡単に刈り取れました。石器を使うと、太い竹が予想より早く切れました。砥石で磨いた石斧を使えば、丸木舟を作れるぐらいの大木も伐り倒せることがわかりました。こうして3万年前の技術でそれぞれの舟を作ってみると、3種類の舟の特徴がわかってきました。

 これまで草と竹の舟で3回のテスト航海を行ってきましたが、黒潮は越えられていません。海は生き物のように絶えず変化します。大きな波や突然の天候の変化、海流に苦しめられます。実際にやってみると思っていたよりも難しいことがわかりました。でも、祖先たちが島に渡ったことは確かなのです。

丸木舟で台湾から与那国島へ―3万年前の航海を再現する

 少しずつ解けてきた謎もあります。台湾から与那国島は見えないと思っていましたが、高い山に登れば見えることを突き止めました。山の上から島を見つけた彼らは、黒潮の強い流れを計算に入れ、より南から島を目指したに違いありません。しかし、海上では50kmまで近づかないと見えないため、大半は目標が見えない航海になります。それはどれほどの冒険だったのでしょうか。

海上では50kmまで近づかないと与那国島は見えない。(画像提供:海部陽介)
[画像をタップでギャラリー表示]

 しかも移住するということは、男性だけでなく女性も一緒に舟に乗っていたということです。男だけで行っても未来はありませんから。それをどう実現したのかを突き止めたいんですね。

 2018年10月に、日本で制作した丸木舟で、千葉の館山から伊豆大島を目指すテスト航海をしましたが、見事に流されました。海の上では何が起きたのか、よくわかりませんでした。でも、海洋研究開発機構の高精度の海流予測図をその日の航跡に当てはめてみたら、黒潮分流の強い流れに当たっていたことがわかりました。大島までは行けませんでしたが、丸木舟はその海流を横切ることができていたんです。それで、どうやら丸木舟なら闘えそうだと思えるようになってきました。

2018年には丸木舟を作ってテスト航海をした。黒潮分流の強い流れを横切ることができた。(画像提供:海部陽介)
[画像をタップでギャラリー表示]

 いよいよ今年6~7月に台湾から与那国島を目指す最後の実験航海に挑みます。必ず夜が1度は来ます。舟を作って実験することで初めて舟のスピードがわかって、航海の日数もわかりました。これがやってみることの大事さだと思うんですね。本番がんばりますので、応援よろしくお願いします。

3万年前の航海 徹底再現プロジェクト
https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/index.php

地球永住計画公式サイト
https://sites.google.com/site/chikyueiju/

海部 陽介(かいふ ようすけ)

国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長。アジアの人類進化・拡散史の研究で、日本学術振興会賞を受賞。「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」代表。著書に『日本人はどこから来たのか?』『人類がたどってきた道』ほか。

この連載の前回の
記事を見る

この連載の次の
記事を見る