中村 人類が二足歩行になった理由は、弱いので端に追いやられたからだという説が好きなんです。それで仕方なく他の動物の食べ残しを拾って、その場では危険だから、持ち帰るために立ち上がったというんですね。持ち帰った食べ物を家族と分かち合う気持ちもあって、それが人間の始まりだというのが霊長類研究のこのごろの流れで、いいなあと思います。

関野 ぼくは、食べ物を分け合ったグループがたまたま生き残ったのだと思います。だから今つきあっている採集狩猟民はみんな平等社会です。農耕が始まると、溜めこむことが始まったんですけど。

中村 人間本来の姿には「分け合う」ことが入っていますから、それを忘れないでいたいですよね。

生きものたちのパラダイスを守るプロジェクト

関野 ところで、今朝鮮半島の南北境界線地帯で生きもののプロジェクトがあるそうですね。

中村 友達の韓国のアーティスト崔在銀が数年前から始めたプロジェクトです。ベルリンの壁が壊れた時に“On the way”という映画を作りましたが、それは「まだひとつ同じ民族の中に国境が作られていますよ」という意味です。38度線の南へ2km、北へ2km、合わせて幅4kmの地帯は、65年間人間が入っていないために多様な生きものたちが棲むパラダイスになっています。もしも境界線が無くなれば、すぐに開発されてしまうでしょうから、そこを守ろうという活動を一緒にやっています。南北に木の橋を架け、シードバンクを作って絶滅危惧種の研究をするという夢のようなプロジェクトです。

なぜ橋を架けるのかというと、南北境界線地帯には地雷が150万個も埋まっていて、丁寧に除去すると500年かかると言われています。美しい場所ですが中に入れないのです。韓国政府も、国連も応援しています。外国の新聞も取り上げ、アメリカの芸術家グループが応援団を作ってくれています。政治ではなく、生きものとして考えていこうという特徴あるプロジェクトなので、生物のことなどできることでお手伝いをしています。最もポリティカルな場所であるがゆえに、地球の自然として考えようというのがちょっとおもしろいと思っています。ぜひ応援してください。

中村桂子氏(右)と関野吉晴氏。(撮影:青木計意子)
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地球永住計画公式サイト
https://sites.google.com/site/chikyueiju/

中村桂子(なかむら けいこ)

1936年東京生まれ。JT生命誌研究館館長。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。『いのち愛づる生命誌(バイオヒストリー)』『小さき生きものたちの国で』『「ふつうのおんなの子」のちから 子どもの本から学んだこと』『中村桂子 ナズナもアリも人間も』など著書多数。

関野 吉晴(せきの よしはる)

1949年東京都墨田区生まれ。武蔵野美術大学教授(文化人類学)。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下る。その後25年間に32回、通算10年間以上にわたって、アマゾン川源流や中央アンデス、パタゴニア、アタカマ高地、ギアナ高地など、南米への旅を重ねる。その間、現地での医療の必要性を感じて、横浜市大医学部に入学。医師(外科)となって、武蔵野赤十字病院、多摩川総合病院などに勤務。その間も南米通いを続けた。 1993年からは、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万3000キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。南米最南端ナバリーノ島をカヤックで出発し、足かけ10年の歳月をかけて、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。2004年7月からは「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」をスタート。シベリアを経由して稚内までの「北方ルート」、ヒマラヤからインドシナを経由して朝鮮半島から対馬までの「南方ルート」を終え、インドネシア・スラウェシ島から石垣島まで手作りの丸木舟による4700キロの航海「海のルート」は2011年6月13日にゴールした。1999年、植村直己冒険賞受賞。

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