第4回 中村桂子(生命誌):人間は生きものの中にいる(提言編)

機械ではなく、生命中心の世界を考える

 人間は生きものだというのはあたりまえのことですが、なぜ今そういう風に考えられなくなっているのでしょうか。それは、科学が「機械論的世界観」を作ってしまったからだと思います。

(撮影:青木計意子)
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 たとえば、ガリレイは「自然は数学的だ」と言い、ベーコンは「自然は人間が支配できる」と言い、デカルトは「私たちの身体は機械と同じだ」と言い、ニュートンは「どんどん小さいところに入って行けばいい」と言いました。皆すばらしい人たちで、この人たちがいなければ科学や近代社会はありません。しかし、そのまま受け取ると、生きものとして生きることが難しくなります。

 私たちは、自動車も、米も、子どもも「作る」と言います。でも、米や子どもは作れません。育てたり生まれたりするものなんです。自動車は効率よく作れますが、米は春に田植えをして秋に収穫します。これは昔も今も変わりません。そうすると機械論的世界観では、農業は効率の悪い産業だから食べ物はだれかに作ってもらえばいいだろうということになります。子どもの場合も、「子どもを作る」と言うと、自動車と同じように完璧な製品を作ろうとして比べ始めます。そうすると、「生きものはひとつひとつが大事で意味がある」という考え方にならないのですね。

 こういう機械論的に世界を見る社会では、生命誌の中の生きものである「ヒト」としての私を忘れてしまっているようです。そこをちょっと考え直して、新たな「生命誌的世界観」を創造していきませんか、と思っています。

地球永住計画公式サイト
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中村桂子(なかむら けいこ)

1936年東京生まれ。JT生命誌研究館館長。東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。『いのち愛づる生命誌(バイオヒストリー)』『小さき生きものたちの国で』『「ふつうのおんなの子」のちから 子どもの本から学んだこと』『中村桂子 ナズナもアリも人間も』など著書多数。